みなさま、明けましておめでとうございます。
元旦の地震の被害に遭われた皆様、お見舞い申し上げます。
1日も早く安心・安全で穏やかな日常が戻りますように。
そして、2024年が穏やかな良い年となりますように。
※※※※※※※※
ぽやんの東大合格ストーリーは、第11話まで公開されております。
冊子掲載で覚悟が決まる
なかなか東大を第一志望にする勇気が出なかったぽやんちゃんでしたが、3年生の時に受けた東大の冠模試で、成績優秀者が掲載される冊子にぽやんちゃんの名前が載ったことで、やっと覚悟が決まりました。
ママンも、
「もう後には引けないんだ。」
と、一緒に覚悟を決めました。
それからは、ただひたすらに毎日を積み上げるのみ、でした。
詳しい勉強のしかたは、ママ広場さんの記事に書いています。
このころになると、学校でもみんな目の色が変わり、休み時間も勉強する雰囲気になってきます。
ぽやんちゃんも、早弁をして昼休みの勉強時間を確保しているようでした。
ママンは、スローなぽやんちゃんと「早弁」という言葉がどうしても結びつかなくて、一度でいいから、ぽやんちゃんの早弁する姿を見てみたかったと、今でも思っています(笑)。
打ち込めるものがある幸せ
ぽやんちゃんの高校時代は、今思えば、起きている時間は可能な限り勉強に時間を割いた3年間でした。
そう言うと、
「そんなに勉強ばかりして、大丈夫?」
という声が聞こえてきそうですね。
でも、ママンは、コロナ禍と丸被りして何もかも「中止」「縮小」で不完全燃焼だった高校生活の中で、ぽやんちゃんが情熱を燃やして打ち込めるものがあって良かったと思っています。
二度と返って来ない高校生という時間を、ぽやんちゃんは「受験勉強」にひたすら打ち込みました。
それも青春の一つの形なんじゃないかな、と思うのです。
家族ぐるみの体調管理
ぽやんちゃんの高校は(というか、このあたりの地域一帯は)、
「受験のために学校を休んで体調を整える」
という文化がありません。
コロナ禍でも、共通テスト前日まできっちり学校があったので、ママンは毎日、インフルエンザやコロナをもらってしまわないかと、ヒヤヒヤしっぱなしでした(刹那君のときもそうだったんですけどね)。
しかもこの年は、共通テストの1週間前に、刹那君の「成人の集い」がありました。多くの同級生達と飲食を共にし、おしゃべりに花が咲くことはわかっていたので、ぽやんちゃんの感染リスクを避けるため、刹那君には、集まりの後はぽやんちゃんに会わないでサッとアパートに戻ってもらうことになりました。
共通テスト前のこの時期は、体調や気候(大雪)など、勉強以外にも心配なことが多すぎて、今思い出してもいちばんピリピリしていました。
ママンは、心と体を守るため、家族以外の誰とも連絡を取らず、会うこともせず、ひたすらに「鎖国」していました(笑)。
試験日は一緒に上京
2次試験の日は、ぽやんちゃんと一緒にママンも上京していました。
東大は2日間(理Ⅲは3日間)にわたって2次試験が行われますが、受験生が試験を受けている間に、並行して「保護者向けの住まい探し相談会」が予定されていました。
(地方から何度も上京して住まいを決めるのが大変な受験生と保護者のために、大学生協主催で、試験と並行して、別会場で行われるものです)
よく、受験生と一緒に現地に行く親のことを、
「過保護だ!」
などと批判する声が聞かれますが、子どもの受験と並行して住まいを探すなど、一緒に行かないといけない理由がある場合も多いんですよね。
ママンは、その「住まい探し相談会」に出席するほかは、ぽやんちゃんの食事の調達に奔走していました。
コロナ禍だったので、念には念を入れ、試験日の昼食以外の食事は、すべて買ってきてホテルの部屋で取るようにしていたためです。
ママン城は没落貴族なので、毎食ルームサービスというわけにはいきませんでしたの(T_T)。
なるべくいつも家で食べているような食材のお弁当を探して買ったり、温かい汁物も取れるように、ホテルの部屋ではポットのお湯を切らさないようにしたりしていました。
第1話~第10話はこちらです
第1話からまとめて読みたいという方は、こちらからどうぞ。
ママ広場さんのサイト内で「Maman」と検索していただいても、すべて読むことができます(*^-^*)。
大学生のいる暮らし
本と共にある暮らし
星と共にある暮らし