先日、父について書いたので、
今日は、母について書いてみたいと思います。
私の母は、若いころは、一言で言うなら「じゃじゃ馬」。
じゃじゃ馬と、じゃじゃ馬から生まれたじゃじゃ子ですので、母娘でぶつかった時代もありました。
でも、私がママンとなり、母がグランマとなってからは、子どもたち(母にとっては孫)を介して、それまでとはまた別の、新たな関係を築いてきたように思います。
↑ 2年前の記事で、リライトもしていないので過去の仕様ですが、一応貼っておきます。
銀座通り在住
私の母は、子どものころ、地元のメインストリートに面した家に住んでいたそうで(今はもうその家はありません)、
「私は〇〇(地元の地名)の銀座通りに住んでいたんだからψ(`∇´)ψ!」
と、威張ります(笑)。
父は地元の中でも外れの方の出身なので、主に父と小競り合いになった時に、少しでも自分が優位に立つために用いるワードです。
さすがに恥ずかしいのか、外では言いません(^_^;)。
狭ーいところで、父と五十歩百歩の戦いを繰り広げています。
あれには喧嘩を売っちゃぁならねぇ
銀座通りでブイブイ言わしていた(死語?)のか、はたまた元々の性格か、母はとても気が強い人です。
子どものころは男の子とも喧嘩したし、口喧嘩でも負けたことがないそうです。
そうでしょうね、と思います(^_^;)。
昭和の小学生ですから、男の子はいつも女の子をからかって泣かせたりしていたのでしょうが、うちの母だけは、
「あれには喧嘩を売っちゃぁならねぇ! 」
と恐れられていて、
「売られた時は、全部買っていた( ̄ー ̄)」
のだとか(^_^;)。
ちょっと~、やめてよね~:;(∩´﹏`∩);:。
でも、その血は、私、受け継いでいるかもしれません〜( ̄▽ ̄)。
学校の先生に対しても、おかしいと思ったことは断固拒否の姿勢を貫く子どもだったそうで、学芸会の時に、演技の実力でなく先生のえこひいきで役を決められたと感じた母は、その劇への出演を、断固拒否<(`^´)>!
「どんなに説得されても、その年は劇に出なかったo(`ω´ )o」
と言っていました。
先生、さぞかしやりにくい生徒だったでしょうね。お察しいたします。そして、その当時の母に成り代わって、お詫びいたしますm(_ _)m。
痛みに強く、手術も平気
鋼の心臓を持つ母。痛みにも強いです。
注射なんて屁でもないし(父は注射が大嫌いで、インフルエンザワクチンの季節になると、済ませるまで口数が少なくなります(^_^;))、手術を受けるときも、全く動じません。
足のウオノメを外科で取ってもらうことになり、明らかに痛い処置を受ける時にも、母は表情1つ変えず、「痛い」の「い」の字も言わないので、お医者さまがビックリしていた、ということもあったのだとか……。
屋根の上もへっちゃら
私の実家は、雪の多い地方にあります。
冬になって、屋根に雪が積もったり、氷が溶けなくなったりすると、屋根に上がって雪下ろしや氷割りをするのですが、高所恐怖症でビビりの父は、はしごを上るにも脂汗をかき、生まれたての子鹿よろしく、ワナワナするばかり:;(∩´﹏`∩);:。
すると、しびれを切らした母が、
「えぇい、のぼれないなら、はしごを押さえておれ(`_´)!」
とばかりに自分がのぼり、わっさわっさと雪を下ろし、ガゴンガゴンと氷を割ってしまいます。
本当に、どうしてこの母とこの父が結婚したのか?と不思議に思いますが、対極的すぎるからこそ「割れ鍋に綴じ蓋」的な縁だったのかもしれません(^_^;)。
愛情深いところもある
そんな「強い」母ですが、意外に愛情深いところもあるのです。
私が子どもの頃は、母の手編みのセーターを着ていました。
ピンクとホワイトの毛糸で、縄編みの模様違いを2枚、編んでくれました。
私はそのセーターがお気に入りで、小学校1、2年の冬は、毎日のようにそれを着ていた記憶があります。
私の祖母(母の母)の葬儀の時には、目を真っ赤にして泣いていましたし、私の結婚式の時も、ずっと泣いていました(^_^;)。
母のママ友が諸事情でふさぎ込んでいるときには、
「美味しいコーヒーをいただいたんだけど~(本当は自分で買ってた)。ブルーマウンテンよ~。飲みに来ない?」
などと、ちょくちょくうちに誘って、たわいもないおしゃべりをしていました。
その人が元気になるまで、数年にわたって。
そのコーヒータイムでついた「おやつ」の習慣によって、一時期、肥えてましたけどね(^_^;)。
「じゃじゃ」の連鎖
今の私は、私自身が子どもの頃に見ていた母と、同じくらいの歳になりました。
父は、私のことを、年々母に似てくると言っています。
でも私は、母のように銀座通りに住んだこともないし、たいして気丈でもないし、痛みにも強くありません。母は、飛んでいるハエを素手で捕まえることができるけれどψ(`∇´)ψ、私は、まずハエを素手で触るのがムリ:(;゙゚'ω゚'):!
心配性なのは父に似ましたσ(^_^;)。
子育ての仕方も、母乳かミルクか、外で働くか在宅ワークか……ありとあらゆる選択が、母とは真逆でした。
でも、毒舌とか、ショートスリーパーとか、頑張りすぎるとか、似なくていいところほど似ているのは自覚していますσ(^_^;)。
母に似てきているということは、私は「じゃじゃママン」?
それってどういうママン(^▽^;)?
これから、私のぽやん娘もいつしかママンになり、私がグランマになる時が来るのかしら。
娘はぽやんだけれども、毒舌一言で相手を仕留めるところなど、じゃじゃ馬の血が確かに入っていると感じることがあります。……ということは、娘は「じゃじゃぽやん」?
なんだそれ……ますますわからん(^_^;)!
ぽやん娘にいつか娘が生まれて、その子もじゃじゃ馬だったりしたら……怖いような楽しみなような(*≧∀≦*)!
「じゃじゃ」の連鎖じゃ~ψ(`∇´)ψ!
まさかのダジャレ締め(^▽^;)。
じゃじゃ馬グランマも最近小さな手術などが多くなってきたので、元気なうちに、「3世代じゃじゃ旅行」にでも行けたらいいな~、なんて思っています(*^-^*)。
「40代主婦」の生き方いろいろ
書籍・書評の情報収集に最適!
教育全般の情報が集められます