このところ、毎日雨ですね。
これ以上、水の災害が起きてほしくないし、個人的にも頭痛が続いているので、もう雨は勘弁してほしいです(*´Д`)。
今回は、前回に続く、後編(その2)です。
前回から、想いを言語化できなかったことによって残った心の傷を、書くこと(言葉にすること)で癒せるかどうかの試みをしています。
ママンちゃん、辛酸を嘗める
前回は、A君がママンちゃんの髪の毛にいたずらし、それをママンちゃんが濡れた手で直したので髪の毛が濡れてしまったという状況を、先生が「A君がママンちゃんの髪に水をかけた」と勘違いしてA君を叱り、A君は「ママンちゃんが、髪が濡れたのは僕のせいだと、先生に嘘の告げ口をした」と勘違いした、ということを書きました。
その時の、正しい状況をうまく言葉で説明できなかったという悔しさは、今でも思い出すのですが、実は、このA君と先生については、誤解されたまま釈明できなかったという苦い思い出が、もう1つあるのです。
↓ そのもう1つの事件の詳細は、ママ広場さんに書かせていただきました。
ざっくり説明すると、
A君がママンちゃんを、「Bちゃん達に、バカって言いに行こうぜ」と誘う。
↓
「は? なんで私が?」と思ったママンちゃんは拒否。
↓
A君、しつこく誘う。
↓
ママンちゃん、「そんなに(悪口を言いに)行きたいなら、1人で行けばいいじゃん。」と断る。
↓
A君、1人でBちゃん達に悪口を浴びせに行く。
↓
その後、遊んでいたママンちゃんは、Bちゃんが泣いていて、先生と一緒にこちらを見ていることに気づき、嫌な予感を覚える。
↓
嫌な予感的中。
なんと、Bちゃんを泣かせたことで先生に怒られたA君は、自分が誘った文脈はすべてはしょり、ママンちゃんの「1人で行けばいいじゃん。」という言葉を、「僕は、ママンちゃんに、Bちゃん達にバカって言って来てと指示されたから言いに行っただけ。だから僕は悪くない。」と、あたかも黒幕はママンちゃんであったかのように先生に説明していたことが判明。
↓
A君の主張をそのまま信じてしまった先生。自分の手を汚さずに人を使って悪口を言わせるとは何事かと言わんばかりに、罰としてママンちゃんを押し入れに入れるという暴挙に出る。
↓
いくら「ちがうもん!」と訴えても聞く耳持ってもらえないため、暗い押し入れの中でシクシク泣きながら、A君には「自分1人で行ってくればいい」ではなくて、「そもそも悪口を言いに行くなんてことは、やめたほうがいいよ」と言うべきだったんだ、そうすれば、言質を取られて誤解されるなんてことにはならなかった(ここまでの言語化はもちろんできていないものの)…などと反省するママンちゃんであった。
という事件です。
どうですか、みなさん!
完全なる誤解によって「押し入れに入れられる」という辛酸を嘗めることになったママンちゃん。
なんて不憫なのでしょう!
そして、そんな暴挙を甘んじて受け入れたということが、我ながら、なんだかどんくさいわ(*´Д`)。
そしてA君よ…君は、なんて悪賢いのだ!
ママンちゃんの発言から、自分に都合の良い部分だけをうま~く抽出し、ママンちゃんを黒幕に仕立てあげるとは!
そしてそして、先生よ…頼むから、本当の状況を探ってくれ…_| ̄|○…!
私は今でも、この時のことを思い出すと、はらわたが煮えくり返り、
彼らに天誅が下っていますように( `ー´)ノ!
と願ってしまうのであります。
「書くこと」で傷が癒えたか
さて、幼いころ、自分の想いや状況をうまく言語化できずに負ってしまったの心の傷を、書くこと(言葉にすること)で癒すことができたかどうかですが…。
とりあえず、スッキリしました(^▽^;)。
今だったらこう言ってやるのに<(`^´)>!
と思うことを言語化して書き出したことで、実際にA君や先生にぶつけることはできなくても、スッキリはしましたね。
そして、読者のみなさんに、
「そういうこと(幼いころの、言葉が足りないがゆえの行き違いや、大人になってもその傷を思い出したりするということの両方)、あるよね。」
と共感してもらえたことで、気持ちがラクになりました。
人のふり見て我がふり直せ
そして、自分の傷が癒されたら、今度は、
教育現場にいたころの私や、親になってからの私も、自分の余裕のなさから、子ども達の言語化を、充分に待てなかったことがあったかもしれない。
と、我が身を省みることにもなりました。
やはり、言語化って大切ですね。
そして、子ども達をのびのび育てるには、大人がまず癒されていることが大事なのだと思いました。
モヤる気持ちを、的確な言葉でしっかりとらえて消化(昇華)する力を、まず大人の心に、そして、子ども達の心にも、育んでいきたいものです。
高校生のいる暮らし
本と共にある暮らし