今回と次回は、ママ広場さんに寄稿させていただいた記事のご紹介です。
今回は、2部作のうち、前編(その1)のご紹介になります。
みなさんは、子どもの頃、自分の想いをうまく説明できなくて、誤解されたり、責められたりしたことがありますか?
私はあります。
もどかしくて、悔しかった思い出が…。
「ちがうよ、そうじゃない」
保育園に通っていた、幼いママンちゃんの思い出です。
保育園に通っていたママンちゃん。
ある日の昼食前だったか、水飲み場で手を洗って、ハンカチで濡れた手を拭こうとしていた時のことです。
いたずらっ子A君が走ってきて、ママンちゃんの髪の毛に何かいたずらをしました。
「やめて!」
と叫んだママンちゃん、咄嗟に髪の毛を直しましたが、まだハンカチで拭く前の濡れた手で触ったので、髪の毛が濡れてしまいました。
そしたら、その状況を見た先生が、「A君が、ママンちゃんの頭に水をかけた」と誤解して、A君を叱ったのです。
ママンちゃんは、
「せんせい、ちがうよ、そうじゃない」
と、先生に言いました。
でも、保育園児の語彙力では、自分の髪の毛が濡れている理由をうまく説明することができなかったのです。
「A君は確かに私の髪の毛に何かいたずらをしたけれど、私の髪の毛が濡れているのは、私が濡れた手で髪の毛を直したからで、A君に水をかけられたわけではありません。」
今ならば、そんなふうに、あの状況を言語化できます。
でも、あのときは、想いはあっても、言葉にすることができませんでした。
「私は嘘つきじゃない」
先生にどう言ったら、本当の状況を理解してもらえるのか、一生懸命に考えているうちに先生はどこかへ行ってしまい、残されたA君は、ママンちゃんに、
「嘘つきo(`ω´ )o!」
と言いました。
A君は、髪の毛に触っただけなのに、自分がママンちゃんに水をかけたかのように言われて怒られたのが心外だったのでしょうね。
でも、ママンちゃんが先生にそんな告げ口をしたのではありません。先生が勝手にストーリーを作ってしまい、A君を責めたのです。
ママンちゃんに逆キレするのは、筋違いと言うものです。
もとは、A君にいたずらされた髪の毛を、咄嗟に直しただけのママンちゃんでした。
なのに、先生にも状況を誤解され、A君には嘘つき呼ばわりされました。
なんて気の毒なママンちゃんでしょう(´༎ຶོρ༎ຶོ`)。
「先生、子どもを叱る時は、状況をしっかり把握してからにしてください。」
「A君、もとはと言えば、あなたがいたずらをしたのがいけない。しかも、いたずら常習犯で、普段から先生に疑われる素地を作っているのは、あなた自身の問題です。しかも、水をかけたと誤解したのは先生であるのに、ママンちゃんを嘘つき呼ばわりするとは…自分のしたことを棚に上げて人のせいにするのもいい加減にしていただきたい。」
今だったら言語化できるあの時の気持ち。
でも、その時は、
「嘘なんか、ついてないもん(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾!」
そう否定するのが精一杯でした。
このときのもどかしさ・悔しさは、今でも鮮明に覚えています。
言葉にすることで傷を癒す
誤解されたまま、釈明できずにいることって、ずっと引きずりますよね。
私は、つい最近、家事をしていて濡れた手で髪の毛を触ってしまったときに、急にこのことを思い出したのですが、やるせない感情と共にまだ思い出すということは、あのときのことは、私の心の傷なんだと思います。
普段はもっと大きな傷に隠れて出てこないような、ごく小さい傷なんですけどね。
言語化って、大切なことですね。
言語化の力が未熟な子ども時代ほど、こういう行き違いが多発していると思います。
書くこと(言葉にすること)で、幼いママンちゃんの傷が癒えて、辛い気持ちがよみがえらなくなるだろうかと、実験的に書いてみてます(^▽^;)。
この先生とA君については、もう1つ忘れられない嫌な思い出があるので( ̄◇ ̄;)、次回(後編)はそのことについて書きますね。
よろしければお付き合いくださいませ(*^-^*)。
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