今日は、前回からの続き記事になります。
↓ 前回の記事。
刹那少年が「生きる力」を発揮した日のことを書いています。
「生きる力」って何だろう
週末の習いに行って、思いがけず、隣の市に1人残されてしまった、小6の刹那少年。
知恵を絞って、コンビニで電話を借りて、祖父母の家に電話をかけました。
そこから大人達が大慌てで連絡を取り合い、なんとか無事に、家に連れて帰ることができました。
結果的には無事でしたが、
・急の練習がお休みになったことを、教室の扉に貼り紙をしただけで連絡が不徹底だったコーチ
・刹那少年が教室に入るのを確認せずに、その場を後にしてしまった庭師
・ぽやんちゃんの熱に気を取られて、練習グッズ以外の大事な持ち物(キッズ携帯や電話用の小銭など)の持ち物確認を怠ってしまった私
大人のミスが重なって、刹那少年を危険な目に遭わせてしまいました。
でも、刹那少年は、
・パニックになってあちこち移動したりすることなく、冷静にできることを考えた
・教室近くのコンビニで、大人にわかるように事情を説明し、電話を借りた
・自宅の番号が思い出せなくても、思い出せる祖父母の家に電話を掛けた
などなどの行動を取ってくれました。
後日、このことを、学校の面談で話したところ、担任の先生から、
「いいですねぇ~。生きる力がありますねぇ~(*^-^*)。」
という言葉をいただき、私はそのとき初めて、
「あぁ、そうか、生きる力って、こういうことを言うのか…。」
と、ストンと理解できたような気がしたのでした。
前回の記事に、「生きる力」の定義について、文科省のリンクを貼っておきましたが、この日の刹那少年が発揮した「生きる力」は、「持っている経験や知識を活用して、問題を解決できる力」だったと思います。
「生きる力」にもいろいろありますが、この日の経験は、スマホなどの便利なものがない状態でピンチに陥ったとき、どうするか…自分の持っているカード(経験や知識)でどう戦うか(問題を解決するか)ということを脳みそフル回転で考えた、良い機会になったことは間違いありません。
(だからといって、この日の大人のミスを正当化するものではありませんが…)
「便利さ」と「不便の想定」は両輪
あの日、キッズ携帯には登録していなかった祖父母の家の電話番号を覚えていたことが、彼を救うことになりました。
普段かけることのない自宅の親電話や、キッズ携帯に登録している親の携帯の番号は思い出せず、肝心のピンチの時には、自分の記憶しか、役に立たなかったのですΣ(゚Д゚)。
普段便利なものに頼りすぎていると、それがないと何もできない人になってしまう危うさを感じますよね。
現代は、災害も多発していて、いつスマホやPCが使えない状況になるかわからない時代です。
スマホは、情報収集・勉強・身の安全にも一役買うなどの便利なツールで、我が家もその恩恵にはあずかっていますが、時に、そういう文明の利器がない不便な状況も想定して、「自分の頭で考える」ということ訓練しておかないと危ないな、と思います。
情報や、便利なツールを使いこなす力を伸ばすと同時に、それらがなくてもなんとかできる力も鍛えておくことの必要性を感じるといいますか…。
「便利さ」と「不便の想定」は、両輪で回っていなくては!
今は便利なスマホを駆使している刹那君ですが、ときどき、
「ねぇ、家の電話番号、言える?」
と聞いてみています。
「言えるわ( `ー´)ノ! バカにすんな!」
と怒られますけども…あの日のことを思い出すと…ねぇ(´艸`*)。
今、刹那君のスマホの待ち受け画面は、真っ黒い画面に「勉強しろ!」という白抜き文字が、画面いっぱいに出るものになっています。
思わずスマホを触りたくなったときに、自分を戒めるためだそうです。
そうそう、便利で楽しいものに、どっぷり依存しないようにしないとね(^_^;)。
高校生のいる暮らし
本と共にある暮らし