GW明けから、通勤・通学が再開した、当エリア。
受験生と新入生を抱えているので、学校再開はホッとするところもありつつ、やはり「密」を避けきれない電車や学校に家族を送り出すことには、不安を拭うことができません。
ステッチを入れたり、ノーズワイヤーを入れたり、レースを付けたり、いろいろチクチクやっています…手縫いでね…( ̄▽ ̄)…。
※拡大は禁止ですわよಠ_ಠ!
学校はいきなりのテストから
子ども達の高校は、田舎の公立ということもあってか、オンライン授業への動きは遅く、一部「先生がYouTubeで配信した動画を視聴して、紙ベースの課題をやる」教科があったのみで、ほとんどの教科は、膨大な紙ベースの課題が出ていたのみでした。
でも、学校が開けたら、いきなりの課題テスト(@_@)!
長期休み明けは始業式の日から課題テストで始まるのはいつものことなのですが、なんとなく休校モードに慣れてボーッとしてしまっていたところ、横っ面をピシャリと張られた感じです( ;∀;)。
まぁ…喋らないという点では、テストの方がいいとも言えるけど…(−_−;)…。
授業は、アクティブラーニング的なグループワークは避けているようですが、またいつ第2波などで休校になるかわからないので、学校を開けていられる期間はガンガン進みますので( `ー´)ノという学校の意思を感じます。
文科省からは、小・中学校への指針は示されても、高校については何もアナウンスが聞こえてこないので、学校としても悩みながら進んでいるのだと思いますけどもね…。
でも、コミュニケーションを禁じられた学校って、学校の良さが発揮できませんね。
勉強だけなら、いずれオンライン環境が整備されていけば問題は無くなるのかもしれませんが、人との関わりの中で揉まれて育つ人間性の教育や、ライブ(生)の経験、友達とじゃれ合う楽しさは…。
今、求めても仕方のないことですが、せっかくの学校での時間を自粛モードで過ごさなければならない彼らが、かわいそうだなと感じてしまいます。
マスク作りは祈りなのかもしれず
先日、マスクが飽和状態だというニュースに触れたものの、まだこちらでは、そんな実感はありませんでした。
が、この間、プリンターのインクがなくなったので、庭師が某電気屋さんに買いに行ったら、レジ前に50枚入りのマスクの箱が積み上げられていたと、買って帰ってきました。
でも、残念ながら、「全国マスク工業会」のマークは付いていませんでした。
※ 偽物のマークも出回っているそうなので、注意が必要ですけどね(´Д`)。
マスクが品薄になる前は、我が家では、品質が確かなのだろうということで、だいたいこのマークが付いているマスクを買っていたので、マーク無しの品質が微妙なマスクには、ちょっと不安を覚えます…。
でも、もう通勤・通学が始まったので、枚数が必要な我が家。
背に腹は代えられません。
あるなら買いますわよ( `ー´)ノ!
一応3層構造だけれど、若干薄い気がするので、夏場用としては良いのかも、と思うことにします。
さて、そんなこんなで、これからはマスクが手に入りやすくなってくるのかもしれず、布マスクだってオシャレなものがたくさん売られるようになってきているのだから、ハハノマスクなんて、もう作らなくてもいいかな、なんて思ったりもしたのですが……なぜか、やめられずにいます(^▽^;)。
時間を見つけては、チクチクやらずにはいられないというか…。
特にお裁縫が得意なわけでも、ハンドメイドが趣味なわけでもないのに、なぜか、チクチクしなきゃいけないような気すらしていて、そんな自分がずっと謎でした。
でも、この間、チクチクしているときに、はたと思い当たったのです( ゚Д゚)。
これはもしや、千人針の心境なのではないだろうかと…。
<千人針とは>
第二次世界大戦まで日本でさかんに行われた、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作る祈念の手法、および出来上がったお守りのこと。武運長久、つまり兵士の戦場での幸運を祈る民間信仰である。
(Wikipediaより)
子どもの頃読んだ『はだしのゲン』の中に、夫や子どもに赤紙が来てしまった女性が、街頭で千人針を呼び掛けていたシーンがあったような…。
確かに、今は「戦時下」だと言われています。
とある医師の方が、感染症外来(病棟だったかな?)の担当になったことを「赤紙が来た」と表現した、という記事をどこかで読みましたし、家族を「密」に送り出さなければならない人は、それこそ戦場に送り出すような気持ちで、そのたびに無事を祈っていると思います。
実際の戦場では、千人針が施されたサラシを腹巻にしたところで防弾チョッキにはなり得ないわけですし、布マスクだって、自分の飛沫を飛ばさない役割は果たせても、ウィルスの侵入を完全に防ぐことはできません。
でも、そうとわかってはいても、チクチクせずにはいられない、というか、一針一針縫う作業に自分自身が癒されている、とも言えます。
マスクって、口と鼻を覆うものでありながら、つけているとなんとなく安心、という感じで、心も守っているような側面がありますよね。
私のハハノマスク・チクチク病と千人針には、たとえ役に立たなくても、無事を願って何かせずにはいられない、そんな祈りの象徴であり、お守りのような役割を果たしている、という共通項がありそうです。
母はいつも祈ってばかり
以前、「書くことは祈りだと思う」と書いたことがあります。
食事を作ること、掃除をすること、書くこと、縫うこと…心をこめてする作業は、全部祈りと言えるのかもしれませんが、結局、私が家族にしてやれることは、もはや祈りしかないなぁ…。
強力な怨念となって家族をがんじがらめにする、なんてことにだけはならないように、気を付けなくてはいけませんけどね~(^▽^;)。
とにかく、手縫いのマスク作りは私の中でまだ続きそうなので、たくさん作ってしまったら、出来がマシなものを選んで、どなたか使ってくださるところに寄付しようかなと考えています(*´꒳`*)。
高校生のいる暮らし
本と共にある暮らし