今回の寄稿記事は、刹那君の発熱騒ぎについて書きました。
えぇ、そうなんです。
実は先月、刹那君が発熱したんです。
発熱は突然に…
昔から熱を出しやすく、出すとやたらと高熱で、しかも長引くという面倒くさい体質をお持ちの刹那君。
不明熱で入院したり、疲れると蕁麻疹を伴ったり、まぁとにかく小さい頃は病院とは縁が切れない生活でした。
くっきり二重になったら体調が悪い合図で、40度の熱を1週間出した時は、くっきり二重がすっかり板について、妙に彫りの深い顔立ちになったりして…(^▽^;)。
「熱が出た時だけなら、ジャニーズ入れるわねψ(`∇´)ψ!」
などとカラ元気を出して、その都度乗り越えてきました。
そんな体質なので、大学進学で離れて暮らすようになってからのいちばんの心配の種は、やっぱり健康です。
半年間、なんとかかんとか病気にかからず、いたって元気に暮らしているようでしたし、夏の帰省で、ラーメン肥えで肌ツヤピカピカ( ̄▽ ̄)な姿を見て、私もどこか安心してしまっていました。
そんな中、突然やってきたんですよ、発熱が…。
「朝起きたら、38.8℃あった。」
とLINEがあったときには、一瞬頭が真っ白に…。
えぇっと…
私は…
どうすればいいんだっけ( ̄◇ ̄;)?
散々シミュレーションしてきたのに、いざとなると、慌てるものですね(*´Д`)。
↓ 詳細は、ママ広場さんの記事に書きました。
度重なる発熱経験がものをいう
ママ広場さんにも書いたように、発熱してからの刹那君の行動は、思ったより冷静でした。
①まず、住まいの24時間メディカル相談ダイヤルに電話
②相談ダイヤルで紹介された病院に徒歩で一人で向かい、検査を受ける
③陰性だったが念のため1週間大学を休み、誰にも会わず、治るまで部屋で療養
④すぐに母に言うと飛んで来そうで面倒なので、事態が落ち着いてから連絡
刹那君から発熱の連絡があったのは、熱が下がり始め、病院へ行って陰性と診断されて帰宅し、さらにそのあと数時間寝て、回復段階に入ってからのことでした。
「たぶんもう回復段階だから、来なくていい。」
と言われてしまったんですよね(^_^;)。
まぁ、駆けつけなければならない状況になると、それはそれで受験生ぽやんを抱えて非常に困ったと思うので、自力で回復してくれてホッとしました。
…が、キョジャッキー刹那の姿が強烈に脳裏に焼き付いている母としては、具合が悪い中で、妙に彫りの深い顔立ちになりながら、病院探しから受診、食べ物の用意などを一人でやっていたかと思うと、胸が締め付けられる思いがしました。
でも、そうやって大人になっていくんですよね。
「なまじっか幼少期から発熱しまくってきたオレじゃねぇんだぜ!」
とでも言わんばかりの冷静さ。
回復段階に入ったのが自分で分かる発熱経験値。
しかも、すぐに母に言うと面倒くさそうだから、回復段階に入ってからの報告。
…症状が軽かったからとはいえ、憎らしい対応でした。
(すぐに言うと面倒くさそうとはなんだ( `ー´)ノ!)
でも、頭が真っ白になってオタオタした私とは正反対の冷静さを見直したのも事実。
悔しいけど、今回は、
負けました<m(__)m>
とひれ伏すしかありませんでした。
時を同じくして、いつもツルんでいる友達のうちの1人も発熱して、彼もコロナは陰性だったらしいので、何であれ、同じ風邪を引いたのかなと思っています。
まぁ、仮にコロナだったとしても、自力で回復できましたし、いくらか免疫もついたでしょうから、これにて一件落着といったところでしょうか。
その後、飲み慣れた市販薬や、保存がきく食べ物などを送りました。
(刹那君はコロナではないという診断だったので、自治体からの物資は何も届かず、買い置きを食べ尽くしたという話だったので)
子ども達が小さい頃は、度重なる入院の付き添いで私もしょっちゅうダウンしていました。
「親が看病疲れでダウンするまでがセット」なのがうちの子達の病気のパターンだったのに、今回初めて「何も看病できない歯がゆさ」というものを知りました。
看病疲れでダウンしているときは、正直、
「もういやだ~…_(:3 」∠)_…。」
と思ったものですが、今思えば、そばで看病できるということも、ありがたいことだったんですねぇ。
まったく、子どもという存在は、いくつになっても、親に新鮮な学びを提供することをやめない生き物ですね(^▽^;)。
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