ゴールデン・ウィークが明けてから、子どもたちの学校は、運動会の準備に忙しくなってきました。中総体・高総体に向けて、運動部は部活もハードになってきています。
現在高2の息子ですが、この時期になると、息子が中3の時の、中学校最後の地区大会を思い出します。
先天性疾患が悪化
息子の右手首には、4歳の時にわかった先天性疾患があります。
命に関わるものではないのですが、対処法が難しく、治療法も、やっと最近見つかったのですが、それも完治を見込めるものではありません。
悪化させないようにコントロールしながら、ずっとつきあっていかなければならない疾患なのです。
でも、それまでは、特に運動に制限はないと言われていたので、部活も好きな競技を頑張ってきました。でも、練習で酷使しすぎたためか、部長として臨む中学最後の大会前という最悪のタイミングで、大きく腫れて痛むようになってしまいました。
痛くて箸も鉛筆も持てなくなったので、定期検診を待たずに、すぐにかかりつけの大学病院を受診しました。
すると、症状をやわらげて痛みが出ないようにする手術を勧められ、受験も控えていたので、一度手術をするということになりました。
そのまま手術日程を決められ、もちろん試合はドクターストップ、大会は棄権せざるを得ない、ということになってしまいました。
学校生活も、手術までの間は(右手は包帯をして吊っているので)すべて左手で行うことになりました。
試合に出たい葛藤
ドクターストップが出てしまったものの、試合のメンバー登録は既に済んでいたので、息子は団体戦と個人戦両方にエントリーしていました。
コーチや顧問の先生とも相談した結果、団体戦は、チームに迷惑をかけるかもしれないということで、自分以外のメンバーに頑張ってもらうことで納得しました。
個人戦も、身体を第一に考えて、棄権することにしました。
しかし、大会前夜になって、息子が、
「個人戦は自分だけのことだから、納得のいくように終わりたい。負けるとわかっていても、棄権するよりは、左手でもいいから出たい。」
と言い出しました。
左手でって……。そりゃ1回戦で負けるだろう。でも、病院の薬と安静の効果か、ここ数日の腫れと痛みはそれほどではない……。以前は走ったときの振動でも響いて痛いと言っていたけれど、ここ数日はそれも落ち着いているようだし……。
ここは、最後だし、納得のいく終わりかたをさせてやったほうが、この子のこれからにとってはいいことなのかもしれない……。
私も一晩悩みました。
地区予選当日
そして、当日の朝。
本人は、個人戦には出る気満々になっており、私も覚悟を決めました。
左手で出て無惨に負けるところを見たくないという気持ちと、負けても最後まで完全燃焼する姿を見届けたいという気持ちが葛藤して、なんだか涙まで出てきましたが、最終的には、彼の思うとおりにやらせようと思いました。
会場に着いて、コーチと顧問の先生にも相談すると、
「わかりました。やらせてみましょう。でも、くれぐれも無理はしないで。」
と言ってくださいました。
いよいよ個人戦が始まり、息子が出てきました。アップは左手でやっているようでしたが、やはり、左手だと、思うようにいかないようでした。
そして、試合が始まりました。
ん?
えっΣ(・□・;)!?
……右でやってる( ̄◇ ̄;)!
ええっ、だだだ、大丈夫(;´Д`)?!
息子、試合が始まって、もう引き返せない状況になってから、ドクターストップをぶっちぎりました。
コーチも唖然とした顔で見ていました。
いや、もしかしたら、途中で左に変えるつもりで、今だけちょっと右でやってみているのかも……。
それとも、夢中になりすぎて、体に染み付いた右が出てしまっているのか?
と、私とコーチが慌てているうちに、なんとそのまま右手で1回戦を勝ってしまいました。
試合後、保護者は選手に近づくことが許されていなかったので、コーチが息子と話をして、私がいるところまで来てくださいました。
「右でやりだしたのは想定外でしたが、いまのところ痛みがないのでこのままやりたいと言ってます。続けさせてもいいでしょうか?」
と、おっしゃいます。
次の相手は、それまでに何度か対戦しているけど、勝ったことのない強い選手。
「あ、もうこれは、次で終わるな。じゃあもう、好きにやらせよう。」
と思い、
「宜しくお願いします。」
と、コーチに託しました。
2回戦め、何がどうしたのか接戦となり、試合が長引きました。
いつ右手を押さえてうずくまってもおかしくない、と、ヒヤヒヤしながら応援していました。
……そしたらなんと、何故か2回戦も勝ってしまいました(^_^;)。
「えええ? なんで!? 何で今日に限って勝てたんだろう? でもそれは、試合がまだ続くってことよね。手首、持つのかしら:;(∩´﹏`∩);:。」
嬉しいのか困っているのか、混乱しているうちに、息つく暇もなく5位決定戦へ。
県大会へは5位までが行けることになっていました。
県大会出場枠に絡むなんて、個人戦では初めての息子です。しかも相手は、自分より強い、同じチームメイト。
「チームメイトに負けるのは辛いだろうな(;´Д`)。」
と思いましたが、いざ試合が始まってみると、なんだかすごく楽しそうに試合をしている息子。
押されているのに、本当に楽しそうで、笑顔まで出て、とてものびのびしていました。
結果はやはり負けで、県大会へは行けず、ベスト8に終わりましたが、本人は実にすがすがしい笑顔(´∀`=)。
勝手にドクターストップをぶっちぎったことには腹が立っていましたが、
「ああ、納得のいく終わりかたができたんだな。」
と思ったら、泣けて泣けてしょうがありませんでした(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)。
病気で棄権する予定だった最後の大会で、自己ベストを更新したのですから、神様がくれたごほうびとしか思えませんが、神様にも、試合中おとなしくしていてくれた病気にも、感謝したい気持ちになりました。
息子たちのチームは、団体戦も県大会出場を決め、善戦しました。
個人戦では、ベスト8。
病気がなかったら、今年は個人でも県に進めたかもしれなかった…とも思いました。でも、もし個人戦で県代表になっていたとしても、県大会までの1ヶ月を右手で練習できるかわからないし、左利きに作り替えるには、1ヶ月では短すぎます。
やはり、ベスト8が、最善の結果だったのではないかと思います。
納得の引退へ
いちかばちか右手でやってみたら、4試合分は右手が持った、ということで、県大会では団体戦だけでも俄然出たくなってきた息子。
「次の診察日に、手術日までこのまま投薬と安静で痛みと腫れをコントロールできるなら、最後の県大会に出てもいいかと、主治医の先生に聞いてみる。」
と言いだしました。
「ドクターストップをぶっちぎって出るというのは、やっぱり気がひけるから。」
と。
思いっきりぶっちぎっておいて今更何を言うか<(`^´)>!
でも、気持ちはわかりました。
主治医の了解をいただいた上で、スッキリとした気持ちで最後の試合に出たいという気持ち。
結果として、主治医の先生も苦笑いしながら、絶対に無理しないという条件付きで県大会出場を許してくださいました。
そして、県大会では華麗に負け(笑)、すがすがしく引退しました。
高校生になってからは、手首のことを考えて、運動部には入りませんでした。
今では、趣味的にその競技をやる時間すら無くて、あんなに燃えていた競技からは、すっかり遠のいてしまいました。
でも、あのとき試合に出たことで完全燃焼して、未練なく引退することができたので、止めなくて良かったのかな、と、今は思っています。
体のためには、やめておいたほうがいい。
でも、心のためには、頑張り抜いたほうがいい。
人生には、そんな時がありますよね。
普段はおちゃらけていることの多い息子ですが、このときは、彼の中の男気を見た気がして、なんだかちょっと眩しかったのでした(*´꒳`*)。
※この記事は、ドクターストップを無視することを推奨するものではありません。
うちの息子は、もうその試合が最後の公式戦で、手術日も決まっており、高校では続けないこともわかっていたので強行出場を選びましたが、その後も選手生命が続くという状況の人は、無理して出場しないという決断も大事だと思います。
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