ママンの書斎から

ミドフォーママンの考えごとなど

「学習の作法」なるもの

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 少し前に、ズボラ母さんのブログで知った、「学習の作法」という言葉。

 

「作法」……なんだか居住まいを正される言葉です。

 

学習にも、「作法」なるものがあるのだそうです。

  

vt-maguna.hatenablog.com

 

 

自分なりに、この「作法」がどういうものであるのかを、もう少し掘り下げてみたくて、買っておいた本を、ようやく読みました。

 

学習の作法(増補改訂版)

学習の作法(増補改訂版)

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学習の作法

学習の作法

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↑上の2冊を買ってみたのですが、上の本が下の本の増補改訂版となっており、内容的にほとんどが被っていましたので、購入を考える方は、どちらか1冊でいいと思います。

 

この本によると、「学習の作法」とは、

 

⑴基本作法「できるようにする」

①満点を取れるようにする

②時間内にできるようになるまでやる

③即答できるまで繰り返す

 

⑵習得作法「できることをさらに繰り返す」

①すらすら読めるようになっている

②意味を把握できている

③ことあるごとに繰り返す

 

⑶未知の問題を解く作法①「分析する」

①抽象的なものを具体化する

②見えない部分を可視化する

③結論の側から考える

④部分に分けて考える

 

⑷未知の問題を解く作法②「俯瞰する」

①評論は話題、小説は場面から考える

②意味から代入する

③先に全体的な構造をとらえる

 

⑸応用実践学習作法「自分で説明できるようにする」

シャドウティーチング①定義を説明する

シャドウティーチング②正答へのプロセスを説明する

シャドウティーチング③構成メモから全体を再現する

 ※シャドウティーチングとは、「人に教えるように」という学習法のことだそうです。

 

 

というような、学習にまつわる行動様式のことであり、進学校の生徒などは、ごく普通に身につけていることなのだとか。

しかし、身につけていない生徒は、たとえば数学の文章題を目の前にしても、問題文からわかる情報を、手を動かして図や表に書き込んで整理していく、などの行動(⑶①②あたりの作法)が出来ず、固まったままになるのだそう…。

 

 

だから、「学習の作法」を身につけている生徒と身につけていない生徒では、

 

「(勉強を)やりました。」

 

と言ったときの状態が違うそうです。

 

何をもって「やった」と言うか、その出来栄えに差がありすぎるというか(作法習得組は、完璧に、しかも即答でき、人に説明できるところまで仕上げているのに対し、作法未習得組は、ただ1度さらっただけで漠然としている、などという違い)。

 

「(勉強を)やったのー( `ー´)ノ?」

 

と子どもに聞いて、

 

「やったよっ( `ー´)ノ!」

 

と答えたからと言って、「満点取れる、即答できる、説明できる、散々繰り返した」レベルであるのか、「ぱやっと教科書読んだ、7割取れるからまあいいだろう」レベルであるかどうかは、雲泥の違い、ということですね。

 

 

うーん。耳が痛い(>_<)!

 

私も数学では、自慢じゃありませんが、固まる派でした(笑)。

まず問題に当たったら手を動かす、問題文を図や表にして情報を可視化する、などという「作法」ができていなかったんだな、と思います。

 

一方で、国語や英語、社会などは、大事なところに線を引きながら読む、関連性のありそうなところは線で結んでおく、などのことが自然とできていましたが、完璧になるまで、即答できるようになるまで、さらには人に説明できるほどにやるまで、やったかと言われると……(−_−;)。

 

 

「学習の作法」は、学校の先生や塾で教えられ、何度も反復する中で身につけたり、身につけている人のやり方を真似して覚えたり、あるいは必要に迫られて自分で身につけたりと、身につけ方はいろいろだそうですが、早い段階で身につけると、その先の学習効果が高くなるのは言うまでもありません。

 

 

 

折しも、我が家の子どもたちは、11月は2人とも学校の定期テストがあり、「勉強祭り月間」です。

 

 これでもだいぶ、子どもたちの勉強からは手を引いている私ですが、子どもたちの勉強の仕方を見ていると、まだまだやっぱり、手出し口出しというか、大人の目から見た軌道修正が必要だなぁと感じることがあります。

 

 

たとえば息子。

英語の教科書内容を頭に入れるのに、

 

「音読が1番良い。シャドウイングのテストの対策にもなるし。」

 

と言って、ひたすら音読していました。

黙って家事などしながら、見守ること数時間。

声が枯れてきているのに、ひたすら音読を続けています。

 

「あのさぁ、何時間も音読できる、その忍耐力は買うけれどもさ。声を枯らして今夜そのまま寝たら、明日の朝、絶対に喉が痛いって言うよね?

そしてそのままにしておいたら、絶対その傷ついた喉にウィルスだの細菌だのがくっついちゃって、風邪に発展するよね?

あなたの今までの風邪ひきパターンからすると、このまま喉を酷使したらマズイって、わかるよね?

もう音読はそのくらいにして、今度はどれくらいインプットできているか、 、アウトプットの練習に切り替えて確認してみたら?」

 

と、たまらず口を出す私。

 

「……それもそうだな。少し喉、休めるか(=_=)。」

 

と、素直に問題演習に入る息子。

 

 

あのさぁ〜、指摘されなくても、普通、自分でわかるでしょ( ̄◇ ̄;)?

 

 

息子は、これだ!と思った勉強法があると、すぐに飛びつき、後先考えず、夢中になってそればかりやってしまう傾向にあります。そして、その方法で期待した効果が出ているかどうか、その確認作業が抜け落ちます。

 

それで伸びる部分もあるとは思うので、できる限り好きなようにやらせますが、テストまでの残り時間や、体調を崩さないでテストを受け切るということを考えると、

 

「それはそのくらいにして、もっとこうしたら有効じゃないの?」

 

と、言ってやることが、たまには必要なのです。

 

 

一方、娘は、最初に教えた勉強のやり方を、疑いもせずに延々と繰り返すところがあります。自分の勉強法を疑うことがないというか…。

でもそれだと、安定感はありますが、思わぬところで、

 

「えっ?」

 

というミスをすることがあります。

誰もができるような問題を、ポカッとミスしたり、行き届いていないところがあったり…そういうところがあるのです。

 

だから、娘には時々、ちょっと違う視点から問題を出したり、ごくごく初歩的な問いを投げかけたりすることが必要です。

 

息子も娘も、自分の学習を俯瞰するということが足りていません。

 

 

努力は尊いけれど、正しい努力でないと、残念ながら時間の無駄になることが多い。

「学習の作法を身につける」ということは、「正しい努力の仕方を身につける」ということなのだろうと思います。

 

今のやり方で、本当に狙った成果を期待できるのか?

 

それを自問自答し、必要に応じて軌道修正しながら勉強していくことが大事なんですよね。

 

 

何事にも「作法」が存在する。

 

 

勉強になりました……。

 

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