「あなたのため」は呪いの言葉
これは、この本のサブタイトルです。
子どもを思う気持ちが、行きすぎたり、表現を間違ったりすると、子どもを追いつめてしまうんですね。
そのことを頭のどこかに置いておかないと、暴走してしまいそうな危うさが、母性にはあると思います。
子どものキャパシティを超えた勉強を強いて、子どもが心を病んでしまうことを「教育虐待」というそうです。
私は「あなたのため」という言葉は極力使わないようにしています。でも、ついうっかり言いそうになってしまうときはあります(苦笑)。
言いそうになったときは、
「あなたのためと言いながら、本当は自分のためではないか?」
「自分の見栄のために、子どもを頑張らせていないか?」
と自問自答します。
子どもにはベストな道を歩んでもらいたいけれど、それが子どもにとって、心を病んだり、命に関わるほど負担なら、引き返していい、あるいは、違う道を歩んでもいい、と言える母親でいたいです。
本当に、子育てって難しいですね。正解なんておそらく無いんです。そのかわり、不正解もない。
たとえばA地点からB地点まで歩くとき、最短ルートを行きたいと思う人もいれば、きれいな景色を見ながら行きたいと思う人もいれば、安全な道を行きたいと思う人もいるだろう。1番目の人はそれによって時間を手に入れた。2番目の人は感動を手に入れた。3番目の人は安心を手に入れた。それぞれ価値が違うもの。本当は時間を手に入れようと思っていたのに、道を間違えたからこそ感動を手に入れられたということもある。子育ても同じ。
目的地は同じでも、そこにたどり着くためのルートはたくさんあって、どのルートを通っても、それぞれ得られることがある。それならば、好きな道や、今いちばん通ってみたい道を行ってみればいい。
子どもたちの勉強や進路選択に寄り添いつつも、そのことを忘れずにサポートしていきたいものです。
「教育虐待」と同じく、子ども本人の気持ちを置き去りにしている例として、「人材育成」も挙げられていました。
「人材育成」とは、教育の現場でも企業でも、よく使われる言葉ですよね。いいイメージを持っていたので、ちょっと驚きでした。でも、よく考えてみたら、確かに、
「望む人材に仕立てあげる」
という意味があるんだなと気づきます。
「食材」も「木材」も、一般には「材」になったときにはもう死んでいるということだ。人間の場合、「人材」と呼ばれても本当に殺されるわけではない。しかし「材」としての「役割」にとらわれてしまっては、「生き物」としての「生き様」を失う。「材」となったものにはすでに「生きる力」はない。
……確かに。
息子の志望校を考えていて、しょっちゅう
「グローバルな人材、リーダーになれる人材を育成します」
というような文言を見かけるのですが、どこの高校も、「人材育成」を掲げているんですよ(苦笑)。
先を読めない時代にあって、未知なる状況に接しても、慌てず冷静に対処する能力「生きる力」「問題解決能力」を伸ばすことが、子育ての、教育の、最終目標ですよね。
そこを見失わずしっかりと見据えて、どのルートを行くか考えないといけないと思います(仮に道を間違えたなと途中で感じても、引き返したり別の道を行けばいいだけの話なので、あまりこだわりすぎず)。
うーん。
なんか難しい(笑)!
とりあえずは、今、信じた道を進みつつ、子どもから目と気持ちを離さず、心を病んでいないか、軌道修正は必要じゃないか、よく観察してフォローしていくしかないんだなと思います。
要は、子どもを置いてきぼりにして、母親だけが暴走していないか、常に内省が求められるということですね。
『毒になる親』は子どもが生まれる前も生まれた後も読みましたが、子どもが生まれてからは、子どもの「毒」にはなりたくないなあ……とつくづく思います。
気づくと子どもより前のめりで突っ走ってしまいそうな受験期(笑)。
考え方に柔軟さを失わないこと。
子どもが持って生まれてきた性分から乖離しないこと。
ときどき読み返して、自分をチェックしたいと思います(笑)。