子ども達が通う学校では、年度末が近づくと、PTA文集が発行されます。
幼稚園、小学校、中学校と、かれこれ10年以上、毎年読んできましたし、記事を依頼されたこともありますが、いまだに何を書くのが正解なのか、よくわかりません(^_^;)。
我が子礼賛はいつまで?
役員をやった年は原稿依頼を受けて書いたこともあります。そのときは、原稿のテーマは、
「何でもいいです。」
という、大変ザックリしたものでした。
前年度までの文集を参考にしながら、その年引き受けていた役職の立場から行事を振り返ったり、他の役員さんを労ったり、ご協力いただいた皆さんへのお礼を述べたり、というような感じでを書きました。
でも、他の方の原稿を読んでいると、、ひたすら我が子を礼賛したものや、「〇〇ちゃんへ」などという我が子への手紙形式のものも見かけます。その文章は、我が子への愛情に溢れています。
幼稚園の時の保護者によるPTA文集は、ほとんどがそういう内容なので、そういうものと思って読んだり書いたりしていました。
でも、小学校になってからはだんだんと、
「うちの子、かわいい!」
「うちの子、こんなことができるようになりました!」
というような文章は少なくなっていく印象です。
おそらく、幼稚園くらいまでは、他の子のことも微笑ましく思えるので、書く方も、あまり気にしないで我が子への愛情ダダ漏れの文章を書きますが、小学校にもなってくると、競争社会になったり、トラブルなども深刻なものが出てきたりして、他の保護者も大勢読むとわかっている公的な誌面で、我が子だけを礼賛したり、我が子一人への私的な手紙を発表したりすることが憚られるようになっていくのではないかと思います。
小学校や中学校の文集でも「我が子礼賛」型の文章を寄せていた方は、おそらく夜中などに書いて、予定より盛り上がってしまったのではないかな~(^_^;)。
リアルな知人に読まれる難しさ
ブログなどは個人の日記ですから、我が子のことを書くのはまったくおかしいとは思いません。
他の方の子育ての様子を読んで共感したり、応援したい気持ちになったり、自分の支えになったりすることもあります。
でも、学校のPTA文集って、リアルな人間関係にもある人たちが読むわけですよね。
例えば、リアルな人間関係において、私や私の子どもをよく思っていない人が読んだら、我が子礼賛は鼻につくのではないか、などと考えてしまいます。
結果として、
「役につくことになったときは頭が真っ白になり、不安でしょうがなかったのですが、皆さまのご協力をいただいて、なんとかやり終えることができました。よい経験をさせていただき、感謝しております。」
というような、無難なことを書いて終わるようになるという(^_^;)。
リアルな人間関係にある人たちが読者なので、本音が書けない。
それがPTA文集の難しさかな~、と思います。
でも、読んで面白いのは、そういう無難な文章より、個人的な心情を赤裸々に綴った文章のほうなんですけどね~。
先生方の文章は無難な印象
先生方の寄せている文章は、教育や子どもたちのことから離れて、
「この学校の校舎から眺めるこの地域の景色が好きです。」
とか、
「家に積んでいる本が、まったく読まれることなく1年過ぎました。」
など、まったくの「雑感」が多いような印象を受けます。
先生方も、リアルな人間関係の保護者たちが読者なので、あえて子どもたちや教育について語らないのでしょうかね?
「みんな読んでいるのか?」問題
毎年、この季節になると、PTA文集についていろいろ思うところがあります。
他のママンさん達からは、
「みんな、そんなに読んでないよ~。」
と笑われるので、私がおかしいのかな(^▽^;)?
でも、毎年、興味深くて、読まずにはいられないんですよね~( ̄▽ ̄)。
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