子どもたちの学校の先生との面談で、担任の先生から言われることのなかには、
「直した方がいいこと」
も含まれます。
誉めてくださることももちろんあるのですが、必ず1つは、
「こういうところが残念なので、直すように頑張っていきましょう。」
と言われます(これは全国的にそういうものなのでしょうか?)。
まあ、私も、自分の子どもは全く直すところがない、などとは思っていないので、先生から言われたことは、なるべく素直に受け止め、子どもにもその点を直せるように働きかけるようにしています。
でも、
「それって……直すべきことなんだろうか?」
と思うこともあります。
たとえば、息子は、
「堅苦しいです。」
と言われたことがあります。
「堅苦しい」……(笑)。
息子は、このときの担任の先生が怖くて、のびのびと自分を出すことができなかったんです。萎縮していたというか。私はそれをわかっていたのですが、まさか先生に向かって
「それは、あなたのことが怖いからです。」
とは言えず、
「はあ……」
と曖昧にうなずいて帰ってきました。
でも、仮に本当に息子が堅苦しかったからといって、それは、「直した方がいい」ところなのでしょうか?黙っていても自然ににじみ出てきた特性で、そのことで誰にも迷惑をかけていないのなら、それは「個性」の範囲であって、「矯正」する必要はないのではないでしょうか?
また、娘は、
「おとなしい。自分の気持ちが出せない。」
と言われます。
でも、小さい頃から(幼稚園の頃から)、集団の中に入ったときに「自分が自分が」と前に出ていくタイプではなかったのです。確かに、親としても見ていて歯がゆいところはありますが、他人に迷惑をかけていないのなら、それこそが彼女の「個性」であり、「直すべきところ」ではないのではないでしょうか?声高に自分を主張するだけがいいことは思いません。
小学校では先生の前で「堅苦しかった」息子は、中学校では先生とも普通にお話できているようですし、「おとなしい」娘も、必要があれば大声も出します。ゆっくりと待ってやりさえすれば、自分の気持ちも言えます。
それに、「堅苦しい」も「おとなしい」も、長い人生のなかでの、一時期の姿であって、一生そのままであるとも限らないですよね。
小さい頃は内気だったけれども、今はテレビに出て活躍されているという芸人さんなどもいらっしゃるし、人生、何がきっかけでどう変わるか、わからないものです。クラスがえや進学や就職など、環境が変わると同時に性格も変わるということだって、充分考えられます。
「忘れ物が多い」
とか、
「授業中に騒いで立ち歩く」
とか、
「友達に乱暴な振る舞いをする」
など、人に迷惑をかけるようなことなら、今すぐ「直すべきところ」だと思いますが、誰に迷惑をかけるわけでもない、もしかしたら「個性」かもしれない部分を、先生や学校により適応するように「直しましょう」と言われると、「それは、今無理に矯正するところでもないんじゃないでしょうか?」と思ってしまいます。
「もう少し、外で遊びましょう。」
と言われたこともありますが、内心、
「いや、今うちの子、将棋にはまってるんで、休み時間に教室で友達と対戦するって張り切ってるんですが……。1年も2年も室内にしか居ないというわけでもないのだから、室内の遊びにはまっている時期くらい、はまらせておいたらいいのではないですか?」
と思っていました(苦笑)。
どこまでを「個性」として尊重し、どこからを「矯正」するのか。
ちょっとそこのところ(一応、先生のご意見としてうかがってはおきますが)、判断がせっかちすぎ、狭量すぎやしないか?と思っています。