ママンの書斎から

ミドフォーママンの考えごとなど

思い込みが激しいということ

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この間、息子が、予備校の先生を講師とした勉強会(学校主催)に参加してきました。

 

その時に、予備校の先生からこんなクイズを出されたそうです。

 

 

カエル🐸が3匹います。

左のカエルと右のカエルは、大人のカエルです。

では、真ん中のカエルは、大人でしょうか、子どもでしょうか?

 

 

息子は、迷うことなく「子ども」と思ったそうです。

両端はお父さんカエルとお母さんカエルで、真ん中は当然、子どものカエルではないかと。

 

でも、正解は、「真ん中も大人のカエル」。

 

 

カエルの子どもはオタマジャクシであって、カエル🐸としてそこにいるということは、その個体は大人ということですよね。

 

 

 

息子は、自分の思い込みの強さを思い知ったそうです。

国語の点数が伸びないはずだと。

(このクイズを出した予備校の先生の意図は、

「脱・思い込み」だったそうです。)

 

 

 

確かに、息子は英数に比べて国語だけが弱いのです。

 

古文や漢文は、主語が省略されていたり、知らない古典常識や中国社会の知識が含まれていたりするので、どこかで思い込みの読み間違いをすると、そのあとずっと、間違った解釈のまま最後まで読んでしまう、ということが起こりがちです。

でも、内容的にはそんなに難しいことは言っていないので、動作主を正しく把握し、古典常識や中国の社会や文化の知識を身につければ、そんなに大きく読み間違うことは無くなっていくと思われます。

 

 

問題は、現代文です。

真ん中のカエルは子カエルであると思い込む(しかも両端はその両親である、とまで信じ込む)ような致命的な読み間違いをしたまま最後まで題材文を読んでしまったら……?

選択肢の問題はまず間違いますし、記述もトンチンカンなことを書いてしまうことは必至です。

 

 

あぁ……頭が痛い……(−_−;)。

 

 

 

受験国語というものは、題材文の中に根拠を求められることしか問いにできないのだから、答えは必ず題材文の中にあるの!」

 

題材文から逸脱している選択肢は✖️だし、記述でも、題材文で言及していないことまで書き過ぎないように注意して。」

 

 

と、口酸っぱく何度言っても、自覚のないままに自分なりの解釈を付け加えて読んだり書いたりしてしまう癖が直らない息子です……( ̄◇ ̄;)。

 

 

でもまぁ、いつも私から、

 

「思い込みで読むな!」

 

「あなたの考えなど、つゆほども聞かれていないわ!」

 

などと言われていたことが、こういうことかと腑に落ちたようで、それは収穫だったと思います。

 

 

 

人間関係でも、たとえば、ちょっとメールの返信が遅かったりしただけで、

 

「既読スルーですか?」

 

ばりの責められ方をすると、相手は追い詰められてしまいますよね。

 

相手は、ただ忙しかっただけかもしれないのです。

自分のことを嫌いなのかな、などと変に勘ぐって責めたりすると、こじれなくていい関係も、こじれてしまいます。

 

事実を事実としてだけ、ニュートラルな出来事として受け止め、独りよがりの解釈をしないこと。

これは、受験テクニックとしてだけでなく、実生活においても、とても大事なことだと思います。

 

 

上記のカエルのクイズは、私は、瞬時に

 

「真ん中のカエルは子どもとは限らない。」

 

とは思ったものの、

 

「カエルの子どもはオタマジャクシであるから、真ん中のカエルは成体である以上、大人である。」

 

という、明確な根拠を持った正答までは、すぐには行き着きませんでした(カエルの子どもはオタマジャクシだという根拠をすぐに思いつかなかった)。

ちょっと考えてしまいましたよ(笑)。

 

賢い人は、すぐわかるのかなσ(^_^;)。

 

いずれにしても、家庭では克服できていなかった「思い込み読み」について、大事な気付きを与えていただき、予備校の講師の先生、ありがとうございました。

 

息子よ、その気付きを胸に、心して国語を勉強なさい(ー_ー)!!

 

 

 

余談ですが、カエルの詩人と言えば、草野心平さん。 

ケルルン クック(「春のうた」) の、あの方です。

 

草野心平詩集 (ハルキ文庫)

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(12)草野心平 (日本語を味わう名詩入門)

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げんげと蛙 (ジュニア・ポエム双書 20)

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草野さんの詩の中では、私は「樹木」が好きですが、カエルの詩が多い草野さん。

 

 

 

「樹木」     草野心平

若葉は光ともつれあい。

くすぐりあい。

陽がかげると不思議がってきき耳をたて。

そよ風がふけば。

枝々はがまんがきかずにざわめきたち。

毛根たちはポンプになり。

かけ足であがり。

枝々にわかれ。

葉っぱは恥も外聞もなくはだかになり。

くまどりの顔で。

歓声をあげ。

 

 

「 春のうた 」   草野心平

ほっ  まぶしいな

ほっ  うれしいな

みずは つるつる

かぜは そよそよ

ケルルン クック ああいいにおいだ

ほっ  いぬのふぐりがさいている。

ほっ  おおきなくもがうごいてくる。

ケルルン クック

ケルルン クック

 

 

「春のうた」は小4くらい、「樹木」は中1くらいかな、教科書で読んだという方も多いのではないでしょうか?

 

私は「樹木」の、「くまどりの顔で。歓声をあげ。」のところが、葉っぱたちが春の訪れをザワザワと喜んでいるようで、キラキラとした生命力を感じるのですが、息子は

 

「くまどりって何(*゚▽゚*)?」

 

という疑問で思考停止でした(−_−;)。

 

 

思い込みで読まない、ということも大事ですが、

「くまどり」が何かよくわからなくても、全体の流れから「歓声」に注目し、作者は樹木の生命力を好意的に感じているのだ、と解釈できると良いんだけどなぁ。

 

 

 

息子の国語…。どうしたらいいものか…。

読み聞かせもして育てたのですが、今は国語嫌い。

理系への興味は夫譲りでしょうが、国語嫌いに育ててしまったことには、責任を感じています(T-T)。

 

 

人は、自分の読みたいように読むし、受け取りたいように受け取ってしまいます。

でも受験国語では、書いてあることからわかることだけを客観的に読む力が求められています。それは実生活にも必要な姿勢です。

 

 

自分のフィルターを通して物事を受け取ることが良いことである場合もあるけれど、まずは客観的に。事実を事実としてフラットに受け止める力。それが大事だなと、改めて感じた出来事でした。

 

 

 

 

 

 

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