うちの子どもにあるスポーツを教えてくれていた方が、義務教育レベルの漢字を書けていなくて驚いたことがあります。
「開会式」を「開開式」と書いていたのです。
はじめは、
「うっかりかな」
と思っていたのです。
私も年々「ど忘れ」が多くなり、自分でも信じられないようなミスをすることが多くなってきているので(苦笑)、
「誰にでもそういうことはあるよね~。」
くらいで、最初はあまり気にしませんでした。
でも、何か別の時に、「風邪」を「風ぜ」と書いていました。
ん?
「邪」を「ど忘れ」したのかな?
でも、それなら黙って「かぜ」とひらがなで書いた方がまだ読みやすい。
そのへんの言語センスが、小学生くらいで止まっているような印象を受けました。
その方は、そのスポーツの世界では全国レベルの実力で、スクールも結構流行っているようでした。年齢は私よりもだいぶお若いのですが、1つのスポーツを極めた方ですし、子どもがお世話になっているということで、保護者として、敬意を持って礼儀正しく接していたつもりです。
でも、なんだか、保護者にもちょいちょい上から目線だし、子どもたちに
「もっと頭を使え!」
などと檄を飛ばしているのを見ると、
「義務教育の漢字も書ろくにけない大人が、頭を使え、はないだろう。」
と、正直なところ思ってしまいました。
スポーツにおける「頭を使う」と、漢字の書き取りにおける「頭を使う」の意味が必ずしも同じでないことはわかります。
でも、そのコーチ、六大学を出ているんです。
「頭を使え!」
だけだと、
「根性出せ!」
のような、単なる精神論と変わりません。もう少し具体的に教えてくれないのかな~と思いました。そんなんだったら私でも言えます(笑)。
おそらく、スポーツ推薦か何かで大学に入られたのでしょう。学力はさほど問われなかったのかもしれません。
でも、やっぱり、「開開式」は、恥ずかしくないでしょうか?
どれだけ「開く」のか知りませんが(笑)、仮にも六大学を出て、子どもたちの「指導者」をうたっている人が、子どもたちが普通に書ける漢字も書けない大人であるって、いかがなものでしょう。
「アスリートを育成して国の力とする」という方針の是非は、ここでは置いておくとして、スポーツ推薦などで進路が開けるとしても、最低限、義務教育くらいの学力は問うべきではないでしょうか。その方が、のちのち後進の指導にあたりたいと考えているならなおのこと。
最近は、勉強の成績もいいトップアスリートの方々も増えているし、コメントなどから、この方賢いな~と思うアスリートも、もちろんたくさんいらっしゃいます。
でも、私がかつて教育現場にいた経験では、何かのスポーツに秀でて周囲にチヤホヤされると、勉強しなくても素行が悪くても、そのスポーツさえ出来ていれば進路が開けると感じて天狗になる子がいるのも事実なんですよね。
それは周りの大人も悪いのですが、スポーツ推薦では、学力では絶対に入れないような大学にスルッと入れたりして、勘違いしてしまう、「困ったちゃんアスリート」を増やしているという側面もあるのでは?と思います
(何度も言いますが、全員がそうだというわけではありませんよ。)
結果的に、そういう「困ったちゃんアスリート」が、例えば注意してくれる人もなく、自分で気づいて謙虚にいろいろ勉強することもなく、その世界の「指導者」になってしまったりすると、質の低い指導者が生まれます。そうすると、育つアスリートも育たないのではないでしょうか。
結局、「開開式」コーチのことは尊敬できなくなり、そのスクールは辞めました。
漢字を書けなくても、人間性や確かな指導力が魅力的な方なら、子どもをお任せしようかなという気にもなるのですが、なんだかスクールの運営(休講の周知のしかたや料金体系など)も「適当だな」と感じる場面が増えて、信頼できなくなってしまったので……。
この「適当さ」って、「自分はこのスポーツさえ出来ていればいいのだから、勉強とか他のことはいいや。」と、他のことを放ってきた適当さから繋がっているのではないか、と感じました。「開開式」と書いても平気でいる「適当さ」と、教え方やスクール運営のしかた、保護者への接しかたなどの「適当さ」。それらはすべて繋がっているのだと思います。
そういう人には、子どもは預けられないと思いました。
「自称指導者」の中には、「単にそのスポーツがうまかっただけにすぎない人」、「それしかやってこなかったため、人としてのバランスに欠ける人」、という人が、結構いっぱいいるなあ……というのが、保護者として子どものスポーツに関わってみた実感です。
大人のスクールならそれでもいいかもしれませんが、子どもに教える「指導者」は、教養も含め、それなりに尊敬できる人となりであってほしいものだと思います。
いい指導者を探し、見極めるというのもママンの仕事なのだとしたら、骨の折れることですね(苦笑)。