ママンの書斎から

ミドフォーママンの考えごとなど

「伸ばす評価」を考える①(寄稿のお知らせ19)

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今回の寄稿は、「評価」について、です。我が家の子ども達の経験を通して、私の思うところを書いてみました。

 

ちょっと長くなってしまい、2回に分けて寄稿しましたので、はてなのご紹介記事も、2回に分けたいと思います。

 

今日は1回目です。

 

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フィードバックは迅速に

 

私は、前職や塾講師の経験、それから、今の本業(教材作成)を通して、小中高生の答案を採点したり、文章を添削しコメントを添えたりすることを、多く経験してきました。記述問題の採点基準を作ることもあるので、評価の公平性については、常に考えているところです。

 

私は、評価というのは、単に上から目線で良い悪いと判断するものではなく、評価された側が自分の到達度を知って納得し、次に活かして伸びるためにするものだと思っています。

 

だから、評価する側にも、努力が求められるのだと思います。

 

具体的には、「フィードバックを速く」「基準を明確にする」ことだと思っています。

 

自分の学生時代を振り返ると、集めたノートの返却がものすごく遅い先生や、テストの答案にお茶をこぼす先生がいらっしゃいました。

そういう扱いを受けると、子ども心にも、、自分の頑張りを適当に扱われている感じがして、とても嫌だったことを覚えています。

 

大学時代のある講義では、レポートを出していない人の学生番号を教授が読み上げるのですが、私は出しているのに、何故か私の番号が呼ばれました。

すぐに、

 

「私は出したはずなので、確認をお願いします。」

 

と教授に訴えました。

それなのに、さらにまた翌週も私の番号が呼ばれたのです。

ブッチンとキレた私は、講義が終わってすぐに、ツカツカと教授の元まで歩いて行き、

 

「どうして出しているのに、何度も何度も番号が呼ばれるんですかっ!? 先週も、出してありますと、確認をお願いしましたよねっ!?」

 

と詰め寄りました。

我ながら、血気盛んでありましたですねぇ( ̄ー ̄)。

 

するとその教授は、

 

「さぁ、どうしてでしょうねぇ〜?」

 

と、のらりくらり。

 

これは、チェックが適当か、紛失されたかのどちらかだと思いましたが、このときは私の怒りに満ちた訴えが、まだ教室に残っていた他の学生にも聞こえていたと思われるのでので、さすがにマズいと思ってそれからチェックし直したのでしょうか、それ以来、私の番号は呼ばれなくなりました。

 

学生に課題を課しておいて、そのチェックを怠り、提出を未提出として扱うとは、学生の努力に対して、あまりに失礼すぎます。

 

評価する側は、される側の努力に敬意を払い、きちんとチェックして、迅速に返す努力をしないと、評価される側がやる気を失ってしまうと、私が学んだ経験です。

 

 

 

評価の基準は明確に示す

 

評価の方法は、採点だったり、ABCだったり、◯か◎か花丸かだったり、☆の数で示したり、大変よくできました系のハンコだったりといろいろですが、評価の基準は明確に示しておく必要があると思っています。

 

記述の採点基準を作る時もそうなのですが、これが◯でこれが△でこれが×であるという理由、これが8点でこれが10点であるという理由を、明確に示せないといけないのです。

 

なぜその評価(点数)になるのか、評価された側が納得できないと、不信感が生まれ、やる気を失います。

そうなると、なんのために評価をしたのかがわからなくなってしまいますよね。

 

評価は、「伸ばすために行う」もののはず。

評価される側が納得できない評価のしかたによって、かえって伸びを妨げることにならないように、評価する側は、自分自身にも「フィードバックを速く」「明確な基準を示す」などの努力を課さないといけないと思います。

 

↓ ママ広場さんには、私の子ども達が受けてきた評価で、印象に残っている事例を書かせていただきました。

 

mamahiroba.com

 

子どもの先生方もいろんなタイプややり方があって、その先生のやり方と子どもの性格が合わず、子どものやる気が失われそうな場合には、親のフォローも必要、ということを痛感してきました。

 

 

なんだか偉そうになっちゃいましたが、忙しかったり、膨大な量をチェックしたりていると、評価をつけるのが遅くなったり、コメントが雑になったり、基準が曖昧になったりしてくることは、私も経験済みです(*´Д`)。

 

でも、自分が親になって、我が子の、学校の先生や塾の先生、習い事の先生などからの評価に対する反応を見ていると、やっぱり評価する側には責任があって、一貫性がないといけないと、痛感するようになりました。

 

このことは、家庭で子ども達の家庭学習の丸付けをするときや、職場で部下や後輩を指導するときにもあてはまるのではないかなと思います。

 

 

この続きは、次回UPしようと思います(*^-^*)。

 

 

 

 

 

 

 

 

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