まだ卒業式の前なのに、なぜか謝恩会が開催されたので(笑)、出席してきました。
正直なところ、公立入試の発表がまだ出ていないので、あまり楽しめないだろうな、と思っていました。
ただ、お世話になった先生方と、会を企画して準備してくださった役員さんたちに、一言お礼を述べなくては、という思いだけで行きました。
だいたい、こういう集まりは、会いたい人には会えず、会いたくない人に会ってしまうもの(私だけ?苦笑)。
あまりに辛かったら途中退席もやむ無しかな、などと覚悟して行ったのです。
ところが、行ってみると、クラスごとにテーブルがわかれていて、息子のクラスのテーブルにつくと、息子からよく名前を聞くお子さんたちのお母さんがたばかりでした(そして、苦手なお母さんは、奇跡的に1人も居なかった!)。
お互いに、子どもを通して名前を聞いていて近しく感じていたお子さんのお母さんたちに会えたので、新しく知り合った人同士も
「あー!〇〇君のお母さんね!お話はかねがねうかがってますー!!!」
と、話が弾んで、想像以上に楽しかったです。
「うちの子、〇〇くんの弁当がスゲーっていつも言うんだけど、どんなお弁当作ってんの?」
とか、
「あの子達の合唱は泣けたよねー。」
とか、
「ちょっと、同居の嫁の愚痴を聞いてくれる?」
とか(笑)。
入試の話も少しはしましたが、すでに決まっている人も、まだ発表待ちという人も入り交じっていたのに、不思議とドロドロした感情はわいてきませんでした。
なんだかクラスの思い出話に花が咲いて、素直に「出会えたことに感謝」という気持ちがわいてきました。
最後の方は、余ったお料理をパックに詰め合うという、主婦にありがちな親切の応酬となり(笑)、みんな大量のパックを持って、お開きが名残惜しいほどでした。
「じゃあ、また卒業式でねー!」
「一緒に泣こうねー!」
と別れた、素敵なママンたち。
この1年間、子どもの受験に没頭するあまり、意識的にリアルなママ付き合いを避けていたようなところがありましたが、受験の結果に関係ない、気持ちの良いママ付き合いというのもあるのかもしれない、と感じました。
行事などで同じ体験を共有した子どもたちには絆が生まれるように、母親同士にも絆が育っていたのかもしれません。
先生方との関係も、3年間のうちには、正直、不満に感じることもあったのですが、謝恩会で、
「生徒たちが可愛くてしょうがありません。」
「保護者の方々のご協力でなんとかやってこれました。」
などと、先生方の言葉を聞いているうちに、先生方も悪戦苦闘しながら一生懸命やってくださったのだと感じて、感謝の気持ちがわいてきました。
みんな、至らないところはお互いにたくさんあったけれど、それぞれの立場で一生懸命に子どもたちと一緒に過ごしてきたのだなあ、と。
キレイゴトを言うつもりはありませんが、やはり、学校という場は、性善説に依って立つ場所であるべきだし、先生方も保護者も、子どもたちの成長のために共に邁進し、喜びあえる存在として、お互いに認め合いたいなと思いました。
この世知辛い世の中、せめて学校くらいは、理想を語り合える場であってほしい。
子どもの周りにいる大人たちくらいは、精一杯の善を体現しようと努力し、そしてそれを互いに認め合いたい。
子どもたちを育てながら、大人たちの絆も育まれたら素晴らしいですよね。
車で行っていたのでアルコールはまったく飲まなかったにも関わらず、とても楽しかった今回の集まりは、奇跡に近い(笑)!
合格発表のことを考えると、不安で胃が痛くて、発表の前にある謝恩会も卒業式も、どういう心境で出たらいいものか……と、腰が引けていたのですが、行ってみたら、互いへの感謝の想いがあふれた、とてもあたたかい会でした(まさに「謝恩会」!)
だから卒業式も、とりあえず合否の不安は忘れて、子どもたちの晴れの姿を見てくることに集中しようと思えました。
先生方が、
「卒業式は、泣かせますよ~~~!」
と、不敵な笑みを浮かべていましたが、あんまり泣かせる演出はしないで欲しいなあ……(苦笑)。