なんだか心がザワザワする〜(−_−;)。
コロナ禍が酷いからか、夏休みが終わって子ども達の学校が始まっているからか、はたまた、今年もコロナ禍での受験(しかも去年よりひどい)だからか…いろんな不安があるからだと思いますが、ここ数日、心がザワザワと落ち着きません。
心に深い湖を
気持ちがザワつくと、思い出す詩があります。
茨木のり子さんの詩で「みずうみ」という詩です。
みずうみ
だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落ち葉の道
お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ
田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で
それこそ しいんと落ち着いて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖あたりから
発する霧だ
早くもそのことに
気づいたらしい
小さな
二人の
娘たち
茨木のり子さんの言い回しをお借りするなら、
名詩を読むものかな( ̄▽ ̄)!
おさげちゃんと、おかっぱちゃん。
2人の小学生の、見事な洞察力!
だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ
私、最近、しいん としたこと、あったかしら(゜-゜)?
なんだかいつもドタバタ、ザワザワしてた気がする…。
まずは深呼吸。
落ち着きましょう( ̄ー ̄)。
心に、静かで深い湖を取り戻すのよ、ママン。
茨木のり子さんの詩は、いつも鋭くて、日頃ぼんやりと感じていることをズバリと的確な言葉でとらえて見せてくれます。
キレ味抜群で、私のいちばん好きな詩人さんです。
いや、好きというか、読むたびに、
「しっかりしなさい( `ー´)ノ!」
と喝を入れられているような気持ちになるのです。
その茨木のり子さんが感嘆した、2人の賢い女の子達の言葉は、真実を言い表していますよね。
いつもガチャガチャと落ち着きのない状態でいると、呼吸も思考も浅くなりそうです。
特に「お母さん」は、深く落ち着いた思考や物腰というものが求められるように思います。
心の深いところから立ち上ってくる霧が魅力的な人。
そういう人かどうかを、子どもは敏感に嗅ぎ分けるのでしょうね。
詩は命がけの仕事
学生時代に知った、「自分の感受性くらい」という詩も、初めて読んだときには、頬をペシッと叩かれたような気持ちになり、思わず背筋が伸びたものです。
有名なのでご存知の方も多いと思いますが、引用しておきますね。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
……頬を張られっぱなしだわ~(/ω\)。
詩というと、昨今の日本では、甘く夢見がちでふわふわとした、いわゆる「ポエム」のようなイメージを持つ方が多いかもしれません。
でも、仕事で「詩人」と呼ばれる方たちの詩に触れていると、真剣に暮らしを見つめ、魂を見つめ、命を削って言葉を紡いでいるように感じられ、「夢見がち」とは対極のスタンスであることがわかります。
韻文は散文に比べて言葉の数が少ないので、1つひとつの言葉に込められた熱量がとても大きく、パンチがきいています。
だから、読む側も、咀嚼するのにエネルギーが要るんですよね。
心して読まねばならない、という感じ。
でも、詩から得られるガツンと心に響く言葉は、折に触れて自分を励ます、まさに「心への水やり」のようなものです。
こういう水やりを怠ると、「心の底の、しいんとした静かな湖」が枯れて、干上がってしまうのでしょう。
感受性がパサパサで、ドタバタと騒がしいばかものお母さんにならないよう、良い本を読んで、良い映画を観て、いつも心に静かな湖をたたえたママンを目指したいと思います。
昨日と今日は貴重な晴れ間だったので家事に用足しにと忙しくしていたのですが、これからまたしばらく雨が続くようなので、週末は引きこもって、久しぶりに読書三昧で心に湖を取り戻したいと思います。
心穏やかに過ごしたいので、コロナ禍も災害も、これ以上ひどくなりませんように…。
頼むよ、ほんとにもう…_(:3 」∠)_…。
高校生のいる暮らし
本と共にある暮らし