今日は雨でした。
窓も開けられないし、家の中もなんとなく暗くて、
掃除には向かない日だわね( ̄^ ̄)
ということで、今日は掃除機をかけませんでした。
でも、この間、掃除機がけについて、ちょっと嬉しいことがあったのです。
「今日は掃除機の日か?」
私は、掃除機は、毎日かける時間と体力が追いつかず、1日おきにしています。
掃除機をかけない日は、ダ〇キンのモップでサササ~、です。
刹那君は、この春休みから自分の部屋の掃除機がけを始めましたが、1日おきのリズムでやっていました。
ところが、出かける予定の日が続いて、掃除機を数日かけられなかったことがありました。
その翌日の朝、刹那君が、
「今日は掃除機の日か?」
と言いました。
「あぁ、そうそう、今日はさすがに掃除機かけないと、限界だよね。」
と答えると、
「俺も、部屋に髪の毛とか落ちてて、床が汚れてきて気持ち悪くて、掃除機かけたいと思ってた。」
と言うではありませんか((((;゚Д゚))))!
まさか、「掃除機かけねば」発言を、刹那君の口から聞ける日がくるとは!
ママン、感動したわ(T ^ T)。
一人暮らしに必要なのは、
「部屋が汚れてきて気持ちが悪いからキレイにしたい。」
そういう感覚ですよね。
自分で掃除するようになったからこそ、汚れに気がつくようになったのだと思います。
ちょっと遅いかもしれないけれど(中高生時代は、自分の部屋を掃除する暇もないほど、忙しすぎました)、清潔に暮らすという「生きる力の基礎とも言える感覚」が育っていることを確認できた気がして、少しホッとしました。
我が家ではずっと、ルンバやブラーバが欲しいと思いながら、なんだかんだと後回しになっていたのですが、もし今、うちでルンバが稼働していたら、おそらく刹那君は、
「部屋が汚れてきて気持ち悪いから、掃除したい。」
という感覚を持つことなく巣立って行ったと思います。
でも、それって…人として大事な感覚が、何か欠けている気がする…(; ・`д・´)…。
以前読んだ何かの新書で(題名を失念(;'∀'))、食品に賞味期限や消費期限が記載されているのが当たり前の世の中になったからか、自分の舌や鼻で、まだ食べられるかどうかを判断できない人が増えていることを危惧する内容がありました。
自分の五感より、記載されている数字や機械のセンサーなどに頼ってばかりいると、生き物としての本能というか、判断力が衰退しますよね。
お掃除ロボットを導入するのは、自分の感覚で掃除の必要性を判断し、自分で掃除することを覚えてからでも遅くはないのかもしれません。
ま、「自分で掃除できる」をクリアしたとしても、お掃除ロボットなんて贅沢なものは、学生のうちは持たせませんけどね( ̄ー ̄)。
ホワイトボードが邪魔
今、我が家で掃除機をかけるときに邪魔なものの1つに、塾などで使っているサイズの大きなホワイトボードがあります。
高校受験の前に、刹那君が欲しいと言ったので買い、リビングの一角に置きました。
子ども達のミスした問題をランダムに書き出しておき、そこで解答を再現させてみたり、刹那君がぽやんちゃんに数学を図解して教えたりするのに使ったりと、それなりに活躍はしてきました。
でも今は、刹那君もぽやんちゃんも自分の勉強スタイルができあがり、しかも文理が違うので、リビングのホワイトボードで学習を共有することはほとんどなくなりました。
そうなると、リビングの一角にでーんと鎮座しているだけの、このでっかいホワイトボードは、邪魔でしかありません(*´Д`)。
処分の仕方を調べるのも面倒で、ぽやんちゃんの大学受験が終わるまではこのままにしておこうかと、絶賛現実逃避中です。
大きなものを買う時には、処分の仕方も検討してから買わないといけませんね(^_^;)。
「刹那君、そもそも、あなたが欲しいと言ったから買ったのよ。責任取って、巣立つときにはホワイトボードも一緒に持って行きなさいよね( `ー´)ノ!」
と言いたいところですが、一人暮らしのアパートには、入りませんよね~(;'∀')。
高校生のいる暮らし
本と共にある暮らし