昨日あたりから、こちらもやっと、夏らしい暑さになってきました。
夏になると、虫取り網を肩にかついで、家の前の田んぼのあぜ道に繰り出していく刹那少年の後ろ姿を思い出します。
刹那少年は、幼稚園にお迎えに行くと、いつも園庭の隅っこで1人、虫を追いかけているような子どもでした。
園庭の隅の日陰でいつも1人
今でこそ、誰とでも話せる刹那君ですが、1人でいるのも、たぶん好きなタイプです。
幼稚園の頃は、お迎えに行くと、子ども達はみんな園庭で自由遊びをしていて、キャーキャーと楽しそうな歓声が聞こえていました。
そのキャーキャーの中に刹那君を探すのですが…どこにもいない…。
…と、園庭の片隅、日陰になっているヤギさんの小屋のところで、うずくまる背中が……。
刹那じゃん( ̄▽ ̄;)。
刹那君、自由遊びの時間は、たいてい園庭の隅で、1人で泥団子をこねたり、虫を追いかけたりしている子だったんですよね。
あの〜…君は、ほかのみんなみたいに、太陽がさんさんと降り注ぐ園庭の真ん中や遊具の上で、キャーキャーと楽しそうに歓声をあげたり、しないのかな(・_・;)?
若かりしママンは、そんなことを思ってしまいました。
幼稚園児のあるべき姿、というか、理想像?のようなものが、自分の中にあったのでしょうね。
でも、
「子どもは遊びからすべてを学ぶ。自由遊びは、危なくない限りは本人の好きなことをとことんやらせて、それを邪魔しない」
という方針の園だったので、先生方も刹那少年をそのまま見守ってくださっていたし、私も、溌溂と遊んでほしいという自分の気持ちをおさえて、日陰でずっと見守りましたσ(^_^;)。
興味をきっかけに周囲と関わる
そんなある日、お友達のお母さんから、
「刹那君のおかげで、うちの子も虫を触れるようになったんですよ〜。ありがとうございます〜(*^-^*)。」
と言っていただきました。
その男の子は、虫が怖くて触れなかったけれど、刹那少年と遊んだら、虫を持てるようになった、とのことでした。
そんなことでお礼を言われるなんて(・_・;)
と恐縮しちゃいましたが、
「刹那は刹那なりに、自分の興味のあることをきっかけにして周囲と関わっていけるんだな〜。無理やり、太陽がさんさんと降り注ぐ場に引っ張り出して、さぁ、楽しげに歓声をあげなさい。と要求する必要はないんだな。」
と、私も気付いたのです。
自分の「興味を深堀り」する
小学生になった刹那君は、まぁ〜、下校中に、石やら枝やら虫やら、いろいろ拾っては持ち帰ってくる少年に成長(^▽^;)。
そして、玄関の虫籠にコレクションしていくのです((((;゚Д゚))))。
石と枝が転がり(勝手に捨てると刹那少年の逆鱗に触れる<(`^´)>のでいじれない)、虫の羽音がする玄関に耐え忍ぶこと数年(「シンプルでおしゃれな暮らし」とやらには無縁)…中学校に入って、他の事(部活)に熱中し始めるまで続きました。
その後、彼の「深堀りしたい興味」は理数系に向いていき、高校では理系を選択して、課題研究(テーマはもう石や虫ではありませんでしたが)も頑張りました。
今思えば、
「この子の人生は、いつも日陰で1人なのかしら(*´Д`)?」
と心配する必要は、全くありませんでしたね〜。
高校の課題研究で「興味を深掘り」した素地は、幼稚園時代の、あの園庭の片隅の日陰で育まれていたのだと、今ならわかるので(*^-^*)。
↓ そんなことを、ママ広場さんに寄稿させていただきました。
子どもが小さい時に親が心配になることって、もしかしたらそれこそが宝物で、未来の何かにつながっているのかもしれませんよねヽ(´▽`)/。
高校生のいる暮らし
本と共にある暮らし