ぽやんちゃんが、読書感想文の課題のため、課題図書の1つである『岐路の前にいる君たちに』を読みました。
入試頻出の哲学者、鷲田清一さんによる式辞集です。
私も読んでみました。
時間がないので、チラッと、サラッとですが…。
いきなり呼び捨てする娘に驚く
この本を読み終えた娘は、感想文の構想を練る段階に入り、とりあえずラフに書き始めたものを私に見せに来たので、さわりの部分だけ読んでみると…
ぽやんちゃん、何を思ったのか、
「~と、鷲田清一は言う( ̄ー ̄)。」
と書いていました。
い、いきなりの呼び捨てっΣ(・ω・ノ)ノ!
しかもフルネーム!
「ねぇ、なんで鷲田さんを呼び捨てしてるの(・_・;)?」
「え? ダメ? 高校生になったから、ちょっと大人っぽく書こうかと思って( ̄▽ ̄)。」
「いや~、大人の文章に近づくことと、人の名前を呼び捨てにすることは、イコールではないんじゃないの(^▽^;)? 自分の身内でもないのにさぁ。敬意は示さないと。」
「ふ~ん、そうか。じゃぁ、なんて書けばいいの?」
「鷲田氏は~、とかでいいんじゃない?」
「あ~、氏 ね!
その手があったか( ̄▽ ̄)。」
ビックリしました(@_@。
もう自分で書く年齢だから、今年からノータッチで行けるかと思っていたのですが、思わぬところでまだまだ子どもですね~(^▽^;)。
気になる見出しやフレーズたち
あまりネタバレしてもなんなので、ご紹介するのは、私が気になった見出しやフレーズに留めたいと思います。
・わからないまま的確に問題に処するスキル(2008年度 大阪大学入学式 告辞)
森のなかでいちど道に迷うこと、方向喪失の状態に陥ることが、じつは大学で学ぶことの意義なのです(2008年度 大阪大学入学式 告辞)
・ほんとうの科学は思いやりのあるもの(2009年度大阪大学入学式告辞)
・教養とは、一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てることができるということ(2009年度 大阪大学卒業式 式辞)
・自分にしかできないことを知っているというのは、裏返して言えば、自分にはできないことをも明確に知っているということです。そして自分にはできないことを知っている別の人と協働しないことには、自分にしかできないことすらも実現できないということを知っているということです。(2010年度 大阪大学秋季大学院学位記授与式 式辞)
他者を他者のほうから理解しようとする想像力(2011年度 大阪大学入学式 告辞)
・自分がこれまで育んできた個性らしきものに閉じこもるな 大切なものだけれど、それは小さすぎる(2011年度 大阪大学入学式 告辞)
・アートは人びとをつなぐ生存の技法(2016年度 京都市立芸術大学 入学式 式辞)
「わからないけれどこれは大事」という、そんな<余白>を拡げてゆくのが芸術ではないか(2018年度 京都市立芸術大学入学式 式辞)
ザッと見ただけでも、こんなにありました。
最初に引用した
わからないまま的確に問題に処するスキル
なんていうことは、まさに今のコロナ禍を見据えていたかのようなお言葉…。
「岐路に立つ人」とは、私達みんな
大学では、教養(専門外のことにも感度のいいアンテナを立て、できることできないことを見極め、複眼でものを見、考えられる力)を身につけてください。
そして、必要ならば、信頼できるその道のプロに助けてもらい、自分も、自分の道の信頼されるプロになってください。
こんな話を入学式や卒業式でしてもらえた学生達は、幸せですね。
でも、「岐路の前にいる」のは、学生だけではなくなりました。
このコロナ禍によって、世界中の人、誰もがみんな、岐路に立たされています。
この道の先に何があるのか、見えないから怖いんだよね。
先行きの見えない中で、私達みんなが、「わからないままに的確に問題に処するスキル」を磨かなければならないのだと思います。
そのために、教養を身につけなければならないと、鷲田さんに教えられました。
ぽやんちゃんも、「鷲田氏」の言わんとするところを理解し、自分の中に落とし込むべく、ぶつぶつ言いながら、書いたり消したりしています。
そうやって文章と格闘し、自分の書いた文章の枝葉末節を削ぎ落して幹だけにしたり、あるいは幹だけの文章に枝葉を加えて膨らませたり、字数に合わせて言葉を入れ替えて調整したり…。
あれこれ試行錯誤すること自体が記述のトレーニングになるので、手を抜かずにやってほしいところです。
親子で同じ本を読んで、何ページのあれがこうだ、などと言い合えるようになってきたことが楽しいな~と思いながら読み切りました。
学生向けの式辞をまとめた本なので、鷲田さんのほかのご著書と比べても読みやすいと思います。
ご興味がおありのかたは、ぜひ(*^-^*)。
高校生のいる暮らし
本と共にある暮らし