今日も雪がちらついている~(´Д`)。なぜなのかしら~(T_T)。
でも、嘆いてもしかたがないので、心をグイッと春に持っていく……ようにがんばる……。
「令和(れいわ)」の典拠がわからない
新元号「令和」の典拠は『万葉集』だということです。
でも、大学時代に『万葉集』を専攻していたはずなのに、「令和」の典拠となった部分は、私の記憶にはまったく残っていませんでした(´・ω・)?
『万葉集』で卒論書きましたとか、もう言えない(*ノωノ)。
『万葉集』を引っ張り出す
まったく覚えていないというのはいかがなものかと思い、久しぶりに万葉集など読んでみようかと、大学時代のテキストを引っ張り出してみました(^▽^;)。
卒論と一緒に大事に保管してて良かったわ~(*^-^*)。
『萬葉集』(株)おうふう(桜風社)
古い書籍のためか、楽天さんでは取り扱いが無いようです。Amazonさんでも、新品はもう無し。
それにしても懐かしいテキスト。
大学時代の想い出が蘇ってきて、ちょっと、おセンチに(*´ω`*)。
あれから何年経つのでせう……(遠い目)。
『万葉集』巻題五「梅花歌卅二首并序」
調べてみると、「令和」の「令」と「和」は、万葉集の巻第五、梅花歌という、梅の花を愛でる歌32首(815番歌~846番歌)の、序の部分に拠っていました。
初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
(原典には返り点がついていますが、ここでは省きます。)
という部分で、
初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前(けいぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くゆ)らす。
と、書き下し(読み下し)、
(時は)良き新春正月、外気は快く風は和らいで、梅は佳人の鏡台の白粉(おしろい)のように白く咲き、蘭は香袋のように香っている。
と、訳すようです。
(書き下しと訳は、『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 万葉集』(角川ソフィア文庫)に拠りました。)
(太字は私によるものです。)
このフレーズを含む序文のあとに、梅の花の歌が32首、続いているというわけです。
長いのですべては引用できませんが、私が大学でテキストとして使っていた(株)おうふう(桜風社)の『萬葉集』では、「うめのはな」は、万葉仮名で「 烏梅能波奈」や「宇梅能波奈」「有米能波奈」などと表記されています。
ムズカシイ。読めません(;・∀・)。
( Pentel Hybrid ゴールド K178 0.8 )
字も紙も、多少曲がったりしてますが、老化現象につき、片目をつむって見てやってくださいませ( ̄ー ̄)。
なんでも、天平2(730)年の正月に、大宰帥(だざいのそち)大伴旅人(おおとものたびと)邸の梅園で、山上憶良(やまのうえのおくら)など30人以上が集まって、梅花の宴を催したそうなのです。
その時に詠まれた梅の花の歌32首(のちに6首追加)が万葉集に収められたようなのですが、昔の人は、都ではない所(ここでは筑紫)でも、こんな雅なことをしてたのですね。
桜や桃、菊などの花びらを杯に浮かべて飲むのは、長寿を祈る習わしだった。
(『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 万葉集』角川ソフィア文庫 より)
んまぁ~、なんて風流なんでしょ(*゚▽゚*)!
万葉時代に花見といえば、、桜ではなく、桃や梅など中国伝来の花を見るのが普通。
(『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 万葉集』角川ソフィア文庫 より)
ほおぉ~。
それで梅の花を愛でる宴なわけですか( ̄▽ ̄)。
32首のうち、巻頭歌である815番歌は、
正月(むつき)立ち 春の来(きた)らば かくしこそ 梅を招(を)きつつ 楽しき終(を)へめ
八一五 大弐紀卿(だいにのききょう)
正月になって春が来たら、毎年このように、梅の花を賓客として招いて楽しみの限りを尽くそう。
(『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 万葉集』角川ソフィア文庫 より)
と詠まれていますから、毎年の恒例行事、あるいはそうしたいという願い、だったのかもしれませんね。
やっぱり、暮らしの中に、美しいものを愛でる心は必要なのだわ(/・ω・)/!
アルファベット表記は「R」
「令和」のアルファベットは「L」ではなく「R」だということなので、カリグラフィーでも書いてみました。
(カリグラフィーペン スピードボール C3)
(インク PLATINUM CLASSIC INK LAVENDER BLACK)
うーん……なんだか私の字はちょっと……トホホな出来だけれど(´Д`)、やっぱり「L」よりは「R」の方が映える気がします。
名もなき花も咲く時代に
「長い長い冬(厳しい時代)を乗り越えて、国民一人ひとりが、梅の花のように美しく、それぞれの花を咲かせられるような時代に……。」
そんな願いが込められている新元号だと聞きました。
万葉集は古今・新古今などのような勅撰和歌集とは異なり、東歌(あずまうた)や防人(さきもり)の歌など、庶民の歌も多く収められている歌集です。
「令和」の元号のもとに生きることになる私たち。
万葉集のように、名もなき人にも光が当たる時代であってほしいと、改めて思いました。
あぁ、久しぶりに万葉仮名を見たら、頭が痛いわ……"(-""-)"……。