河出書房新社から出ている、「14歳の世渡り術」シリーズ、ご存知ですか?
奥付けには
そのまま大人になるつもり?
とか、
中学生以上、大人まで。
などと書いてあります。
つまり、中高生くらいの年頃の子どもたちに、大人になる前に知っておいて欲しいことや、社会に出る前に考えておいてもらいたいことなどをテーマに書き下ろされたシリーズなんですね。
今回はその中から、
『幸せを届けるボランティア 不幸を招くボランティア』(田中優)
という本を読んでみました。
幸せを届けるボランティア、不幸を招くボランティア (14歳の世渡り術)
- 作者: 田中優
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2010/07/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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文庫化もされています。
2020年の入試改革により、現在公立高校受験で内申書が大きなウエイトを占めているように、大学受験でも、高校時代に何をやってきたかを示す「ポートフォリオ」なるものが重要にになってくる、と言われていますよね。
それで、ポートフォリオに書ける特記事項とはどういうものかを、調べていました。
生徒会や委員会の活動、さまざまなコンテストや大会での受賞記録、ボランティア活動など、勉強以外の課外活動や、結果を残したことが評価されるようです。
……と、ここまで調べて、
ん?
なんか、変だな。
と感じた項目がありました。
それは、「ボランティア活動」という項目。
ボランティアって、受験に有利になるからというエサをぶら下げられてやるものだったっけ?
……いや、受験のためにやったわけではないけれど、結果的に高校時代にやったボランティアだから、一応書いておく、という人も、中にはいるでしょう。
でも、特に何も輝かしい実績が無い高校生は、受験に少しでも有利になるように、藁にもすがる思いでボランティア活動に参加したりするのではないでしょうか。
まぁ、これを突き詰めていくと、生徒会だって部活だって、大会やコンクールに出ることだって同じことなのですが……。
でも、ボランティアって、相手のあることですよね。困っている誰かのために、相手が欲していることを、相手が欲しているときに、相手ファーストでやるものですよね。
「受験のため」というのは、自己都合です。つまり、自分ファースト。
そこに違和感を感じるんです。
困っている人に手を貸す、という、本来、さりげなく日常で行われるべきことが、何か大きなことになって、「いいことをしてあげている」と上から目線になってしまうと、ボランティアの本来の目的から離れていくように感じます。
ボランティアを受ける側が望んだことを、望んだタイミングで行うことができれば、それは確かに良いことです。
でも、受ける側が必ずしも望んでいないことを、望んでいないタイミングで押し付ける形になってしまったら、それは、ありがた迷惑というものです。
私は震災の被災者ですから、あのときのボランティアの方々の有り難い働きには、心から感謝しています。
でも、被災者の中には、
「捨てるしかないようなボロボロの古着が送られてきたりしてる。気持ちはありがたいけれど、正直着たくない。すごく惨めな気持ちになる。」
と話す人も居ました。
偽らざる正直な気持ちだったと思います。
この本の中で、著者の田中さんは、
ボランティアって、本来は「自発的にする」という意味だ。
と述べていらっしゃいます。
自分がやりたくてやっていること。
報酬がもらえなくてもやりたいこと。
見返りを要求しない姿勢のことです。
本来は、「タダ働きでもいいからやりたい」という、自発的な思いであり行動であるはずなのに、地域のお祭りなどで中学生を労力として駆り出したい大人たちは、
「地域の奉仕活動は良い行いだし、内申点にもなるのだから、是非参加してほしい。」
という言い方をします。
内申点というエサをぶら下げて、タダ働きしてもらおうというニオイを感じます。
このあたりでは、中学生は地域のお祭りに出店の係としてかり出されますが、子どもたちに焼かせた焼き鳥をアテに、子どもたちが働いている横で大人がビールを飲んでいたり、中学生はジュース売りの係だと聞いていたのに、実際にはビール売り場に立たされていたりして、憤慨したことがあります。アルコールを売らせるために子どもを参加させたのではありませんから。
このときは、大人のスタッフを呼んできてアルコールのところにはその人に立ってもらい、子どもたちにはジュースだけを担当させましたが(私はただのお客さんという立場だったけど、黙っていられませんでした)。
ボランティア、ボランティアと声高に叫んで、さも良いことだからと子どもをかり出したがるわりには、子どもを働かせることに対しての大人の意識が低すぎると感じることが多々あるので、本当は、地域のお祭りには、あまり子どもを出したくありません。
あくまで内申点のために出ているという子がほとんどで、そこに「自主性」は皆無だし、大人たちも「ボランティア」という言葉を、都合よく使いすぎじゃないですかね?
著者は、途上国に援助するつもりで古着を送っても、その古着が溢れかえっているために、かえって途上国自身の軽工業の発展を妨げてしまう例なども挙げています。
良かれと思ってしたことでも、「小さな親切、大きなお世話」になってしまうこともあるということですね。
本の題名にもあるように、
「幸せを招くボランティア」と「不幸を招くボランティア」というものを、よく考える必要があると思います。
とはいえ、著者は、
最初は「ほめられたい」でもいい
とも述べています。
やはりなんだかんだ言って、ボランティアは必要なものだし、その入り口はさまざまあっていい。
でも、最終的には、
本当に必要なのは自分の安心感じゃない。副産物として自分のためになるのはいいけれど、あくまで相手のためのボランティア活動だ。
自分のことが目的じゃない。相手が安心できたり、幸せになってくれたりすることが目的なんだ。
ということを理解して欲しいとおっしゃっています。
ポートフォリオの問題にしても、最初は受験で有利に勝負するために始めたボランティアであっても、それがきっかけとなって、生涯ボランティアに携わるようになる人もいるでしょうし、ゴタクを並べて何もしないでいるよりは、小さなことでも動いた方が、はるかに良いですよね。
著者は、ボランティアというものに対する中高生の意識の現実も知りながら、ゆくゆくは、本当に相手に必要な支援ができる大人になってほしいと願っているのでしょう。
私も、自分の子どもたちには、勉強だけの人にはなってほしくないし、かといって、受験に役立つからとか、周りに評価されるからとか、そういった打算や偽善だけでボランティアをするような人にも、もちろんなってほしくありません。
私も考えさせられるところが多々あったので、子どもたちにもこの本を読んでもらいたいです。
そして、受験の準備をするときになって、
「ポートフォリオのために、とりあえずボランティア!」
などという浅はかな発想をしないように、今のうちから考えさせたいと思いました。