最近、週末は忙しさに拍車がかかり、子ども1人にタスクが2つ以上重なったりするので(塾と模試、バレエと部活、など)、夫も休日出勤だと、私1人では送迎や食事を取らせることに手が回らないことも増えました。
どうしても車で送迎が必要な場所で模試やら検定やらが行われるのは、田舎だからゆえの大変さかもしれません。
部活も、電車で行くことが可能でも、顧問1人での引率は困難だからと、結局親の送迎を求められることも多いです。
今週末はまさにそんな手が回らない週末で、夫も遠くへ出張で、私一人では、行先も時間も違うところに子どもたちをそれぞれ送迎するということができないので、ついに私の両親に助っ人を頼みました。車で2時間の距離に住んでいますが、今週末は来てくれることになり、感謝です。
が、私の両親も、会うたびに老いを感じて、もしや介護も近いのではないかと、恐れおののくことになってしまいます。
せめて子育てがもう少し落ち着くまで、元気でいてちょうだいね、と、祈る日々です。
以前にも増して忘れっぽくなっていたり、意固地になりやすくなってきたなと感じるのですが、特にもぶっ飛んでいるのは、私の母です。
話していて、自分だけにしか通用しない言葉を連発するので、一瞬???となることが多いのです。
たとえば……。
「パンパース」は、
私にとっては、
「数ある紙おむつの中の一種」
です。
でも、母にとっては、
「紙おむつ及び、おむつをつけている月齢の子どもの総称」
なのです。
だから、
「このあいだ近所の保育園のパンパースたちがどうしたこうした……。」
などという発言になります。
聞いている方は、???です。
……「パンパースたち」とは、……擬人法?
みたいな(笑)。
ムーニーであれメリーズであれマミーポコであれ、とにかくおむつは全部「パンパース」なうえ、少なくとも保育園の0才児クラスの子どもたちは全員「パンパース」なのです。
実家の近くに保育園があるので、保育園の子どもたちは全員自分の孫とでも思っているのか、
「今ごろパンパースはお昼寝の時間だ。」
だとか、
「最近のパンパースちゃんたちはみんなキレイな顔だちしてる。」
などと言うので、
脳内翻訳が大変(笑)。
数年前にローマ法王が亡くなったときは、
「はーあ、とうとうヨハネも死んだ……。」
と言いました。あたかも、
「隣のヨネさんが死んじまった……。」
とでも言うようなトーンで。
……あなた、ローマ法王と友達だったの?
とでも突っ込みたくなるような公私混同ぶりで(笑)。キリスト教にもヴァチカンにも全く縁もゆかりもない母が、何故に
「ヨハネが死んだ。」
と嘆いているのか、全く理解できませんでした(苦笑)。
また、サッカーの長友佑都選手について、サッカーのサの字も知らないのに、
「きのうの長友はよく走ってた。」
などと知った口をきくので、開いた口が塞がりません(苦笑)。
基本的に元気にしてくれている両親ですが、我が家に助っ人に来ると、子どもたち中心の時間に追われる生活に疲れてしまうようで、あまり気の張るような案件は頼めなくなりました(慣れない場所への車送迎や、あまりに細切れな時間の制約のなかで食事を食べさせて送り出す、など)。
ヘルプに来てもらっても、高齢者の生活リズムと中学生の生活リズムが違いすぎて、お互いに疲れるということになってしまいます。
子ども世代と親世代に挟まれて、私はそれぞれに気を使い、頼む案件の難易度を調整して、なんとかスケジュールを回すのに苦心することになり……。
同居したらどうなるのか……助かることもあるだろうけれども、大変さのほうが容易に思い浮かぶ……考えただけでもクラクラします(今、そういう状況でがんばっていらっしゃる方々のことは、本当に尊敬します)。
知り合いのママンさんも、
「今はまだ子どもに手がかかっているから、介護はもう少し先まで待って欲しいというのが本音。」
と言っていました。
とはいえ、選択の余地なく急に介護が始まってしまったりすることも充分考えられるので、もし今介護が必要になったらどうするか、ということを考えておかなくてはなりません。
「子育てと介護の間」
(「冷静と情熱の間」的に、かっこよく言ってみました(笑))。
私は今そこに立っている、と、痛感します。
子どもたちがせめて大学生くらいになるまで……つまり、あと5年くらいは、介護なんて必要ないくらいに元気でいてもらいたいですね。
最近は、孫たちの勉強に触発され?、自分でも勉強したくなったらしく、小学生用のドリルなどを買ったという母。
その心意気は素晴らしいと思うので、是非脳トレに励んでほしいところです(笑)。
父も、毎日1万歩歩くことを目標に、散歩しまくっています(笑)。
母のドリルも父の散歩も、
「少しでも若くいよう。子どもや孫に世話にならないようにしよう。」
と努力しているのだと思います。
子育てと介護が重なりませんように、と祈りつつ(私の友人は実際そうなり、見事にこなしていますが、やはり大変そうです)、親も子どもも私も、それぞれの立場で精一杯頑張る日々です。