激しいキレかたをする人がいますね。
怒りという感情は、たとえば悲しみの裏返しであったり、不安の裏返しであったりして、その背景に思いを馳せると同情の余地があったりします。
喜怒哀楽は人間の自然な感情ですし、感性はできるだけ豊かでありたい。
怒りを感じること自体は、別に悪いことではないですよね。「怒り」という段階を経て初めて消化される感情というのもあるのでしょう。
でも、それを自分のことだけとして、何かでストレス発散しているうちはいいのですが、怒りをあらわにして声を荒げ、周囲の人を攻撃していいか、というと、答えは否だと思います。
声を荒げれば荒げるほど、人間的な未熟さが露呈してしまうというか……。
偉そうに書きましたが、かくいう私は、もともとは怒りっぽい性格だと思います(笑)。
学生時代や前の仕事をしていたころは、いつも何かに怒っていました。
そして、怒ると口調がなぜかべらんめえに(笑)。
周りの人間や、世の中のシステム、自分への苛立ち……。
思うようにならないことはそこらじゅうにあって、放っておいたら、毎日が怒りに満ちてくる、そんな若い日々でした。
でも、年を取ったり子どもを産み育てたりしているうちに、
「怒りを感じることは、もはやしょうがないけれども、それを相手や周囲の人に攻撃的にぶつけるということは、しない方がいいな。」
と感じるようになりました。
(まあ、それでも、時には、傷つけられる状況から自分を守るために、怒りを匂わさなければならないことはありますが……。)
攻撃的な怒りの表現は、周りの人間も傷つけるし、自己コントロールができない人として、自分の評価も下がります。体にも悪いです。
「アンガーマネジメント」という概念も出てきたほどに、「怒り」が心身や人生、社会に及ぼす悪影響が認識されてきたのでしょう。
特に、「激昂」という表しかたは最もリスキーです。
絶対に、後味が悪い。
ほぼ確実に、後悔します。
激昂して、いいことは1つもないと思います。
自分でも失敗したり、いろんな人を見たりしているうちに、
「どうしても怒りを伝えなければならないときは、ユーモアを交えてチクリと言う程度にするとか、より柔らかな表しかたを考えた方がいい。」
と思うようになりました。
オブラートに包めるものは包み、笑いで落とせるものは落とす。
高度なテクニックですが、人とコミュニケーションを取って生きていくためには、上手な怒りのコントロールは、重要なスキルです。
もしも、「激昂」が、何らかの病気の症状だとしたら(そういう説もありますよね)、医療の力を借りることも必要だと思います。
うちの子たちは今、思春期で、何もかも腹が立つお年頃。
この週末も、
「テスト勉強なんかやりたくない。なんでテストなんかあるんだ。なんでこんなに範囲が広いんだ!」
とまあ、毎日激怒してます。
そして、その態度に我慢ならなくなった私も、
「毎回毎回テストのたびに同じことでキレるんじゃねえ!」
と激怒しています。……私、ガラが悪いですね(苦笑)。
でも、こういうやりとりは家族だから許されること。
家から一歩出たら、社会に適応する自分でいなければなりません。
「怒りのコントロールは大事だよ。」
「怒りの伝え方も大事だよ。」
と、折に触れて子どもに伝えなければならないと感じています。
お母さんの怒り方を見て、反面教師にしなさい、と(笑)。
「挨拶はしっかりやりなさい。」
「とりあえず野菜は食べなさい。」
「連帯保証人には絶対になったらダメ。」
子どもが暗唱できるほどに教え込みたい人生の教訓は山ほどありますが、
「怒りのコントロールを覚えなさい。」
「怒りの上手な伝え方を身につけなさい。」
これも「子どもに叩き込む教訓リスト」の上の方に加えたいと思います。
そして、まず自分から、アンガーをマネジメント?しないとダメだなあと思います。
伝え方も、仮に家族間であっても、もう少しやんわり話すように気をつけようと思います(笑)。