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『物語ること、生きること』(上橋菜穂子)

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壮大な児童文学を描く作家であり、アボリジニを研究する文化人類学者としても有名な、上橋菜穂子さん。我が家でも、『獣の奏者』や「守人シリーズ」など、親子で読んできました。

 

 

 

獣の奏者 全5冊合本版 (講談社文庫)

獣の奏者 全5冊合本版 (講談社文庫)

 

 

 

精霊の守り人 (新潮文庫)

精霊の守り人 (新潮文庫)

 

 

 

天と地の守り人〈第1部〉ロタ王国編 (新潮文庫)

天と地の守り人〈第1部〉ロタ王国編 (新潮文庫)

 

 

 

天と地の守り人〈第2部〉カンバル王国編 (新潮文庫)

天と地の守り人〈第2部〉カンバル王国編 (新潮文庫)

 

 

 

天と地の守り人〈第3部〉新ヨゴ皇国編 (新潮文庫)

天と地の守り人〈第3部〉新ヨゴ皇国編 (新潮文庫)

 

 

そんな上橋菜穂子さんのエッセイを見つけたので、読んでみました。

 

 

物語ること、生きること (講談社文庫)

物語ること、生きること (講談社文庫)

 

 

 

私が一番印象に残ったのは、お父様とのエピソードを綴られた、

「おだつんじゃない」

という章です。

 

「おだつ」とは、「調子に乗る」という意味だそうです。すなわち、

「おだつんじゃない」

とは、

「調子に乗るな」

ということ。

 

強さに憧れていた中学時代の上橋さんが、竹刀を振り回して剣豪気分を味わっていたところ、お父様から

「おだつんじゃない」

と一喝された、というエピソードです。

 

「武士が刀を抜くということは、相手か自分が命を落とすことを意味した。そのぐらい覚悟が要ることであって、遊び半分で刀を振り回すなど、あってはならないことだった。それなのに、おまえは何か勘違いをしている。たいして剣の心得もないのに竹刀を振り回すとは、調子に乗るんじゃない!」

 

要約すると、このような内容で叱られたことが綴られています。

 

そして、上橋さんは、そのお父様の言葉で、幼稚な自分の姿を初めて俯瞰で見たように感じ、恥ずかしくなったのだそうです。と同時に、お父様のその言葉がやけに心に沁みて、今でも自分の中で1つの戒めになっているとのことです。

 

 

なるほど。

 

こういうこと、あるな~と共感しました。

 

自分の浅はかさに気づいて強烈に恥ずかしくなり、大人になっても忘れられないことって、私もたくさんあります(苦笑)。

自分で気づいたこともあれば、周りに指摘されて気づいたこともあります。

 

 

おそらく竹刀を振り回していたときの上橋さんは、自分のふるまいが「調子に乗っている」ことだとは、夢にも思わなかったんじゃないかと思います。

 

でも、このとき、お父様から注意されたことによって、その後の人生において自分のふるまいを客観的に見るまなざしを得られたのですから、長い目でみればありがたい指摘だったということですよね。

 

私自身も、いまだにいろいろやらかしていますが、子どもたちのふるまいも、見ていて

「ああ、これは良くない……。」

と思うことがあります。

上橋さんのお父様のように、子どもの行いがマズイと感じたらきちんと指摘できる親でいないとダメだなと感じました。

 

注意したそのときは 子どもに恨まれるかもしれないけれども、長い目で見たら、叱らない方が子どもにとって不親切ですよね。家族ですから、仲直りはできると信じて、思春期の子どもたちに向き合わねばならないと思います。

 

いつかその親子のエピソードが1つの物語となって、子どもの人生を支えてくれるんじゃないかと期待して。

 

 

つらいとき、自分の外側に出て、「人生という物語」の中を、いま生きている自分を見る。そうしていると、つらい、悲しいことだけじゃないな、喜びもあるよな、と気づいたりする。

 

子どものころ、時を忘れて物語にのめりこんだように、私はいまも、物語を生きるように、自分の人生を生きているような気がします。

 

 

こういう視点で人生をとらえられたら、逆境にあっても冷静に、もしかしたらそんな展開をどこかで楽しんだりもしながら生きていけるのではないかな、と、勇気をもらえました。

 

 

この本は、子どもにも読んでもらいたくて、リビングのテーブルに、これみよがしに置いておきました(笑)。

 

 

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