ママンの書斎から

ミドフォーママンの考えごとなど

リーダーの苦悩

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息子が、部活の部長をしています。

やりたくてやっているわけではありません(苦笑)。

先代の部長からの指名なので、断れない感じの伝統みたいです。

 

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でも、息子はちょっと苦しんでいます。

どこの部でもそうだと思いますが、「長」が付く立場にたった人間は、孤独なのです。

 

 

まず、自分より実力面で強い部員に指示を出さなければならない気後れがあります(エースと部長は役割が違うので、気後れする必要はないのですが)。

 

それから、ミーティングなどのとき、友達なのに、協力してくれるどころか、ふざけて話を聞いてくれない部員に対する困惑もあります(「協力する」って、口だけかよ、的な)。

 

もっと言うと、要求だけは立派だけれど、無断欠席したりする部員への憤りもあります(強いからって、何をしても許されるってもんでもないだろう、的な)。

 

さらには、部員同士のいざこざを調整したりする気疲れもあります(ペアを組む練習などのとき、特に気を遣うそうです)。

 

私自身も部長の経験がありますので、今、息子が抱える苦悩が手に取るようにわかります。それゆえに、可哀想だなあと思うことがあります。

 

周囲の大人は、口を揃えて

「この経験は後で必ず役に立つ。」

「未来への貯金だ。」

と言うけれど、果たして本当にそんなに役に立つのか?

と、私も当時は思っていました。息子も思っているでしょう。

将来に役に立つことなんてしなくていいから、友達と気楽にふざけていられる立場でいたい、と。

 

でも、チャラチャラと適当に取り組み、やる気が出たときだけ頑張り、やる気がなければサボる、そんな取り組みかたの癖をつけてしまうと、あとあと困るのは自分です。

真摯に取り組む姿勢は、一朝一夕に身につくものではありません。今、身に付けなければならないのです。

 

「やる気が出ないときも、サボりたい気分の時も、まず自分が先頭に立たねばならない。」

「個人の損得ではなく、全体を見て動かなくてはならない。」

 

そういう経験をしたことがある人とない人とでは、周囲からの信用度が、まるで違ってくると思います。

そして、社会人として生きていくのに何より必要なのは、その「信用度」なのです。

 

 

 

「どんなに実力があっても、人に信用されなければ、あいつは要らないと言われるようになる。困っても助けてもらえないし、実力を発揮する場所を与えられないんだよ。」

「仮に、実力が1番じゃなかったとしても、誠実に確実に仕事をする人にはチャンスが与えられる。あの人に頼みたいと言われるようになって、周囲の人からも助けられて、実力以上の仕事をすることも可能なんだよ。」

 

息子が、「リーダーのボヤキ」を始めたときには、ある程度気持ちを吐き出させてから、最後にはこう言うことにしています。

 

大人になってからの、特にママンの世界のリーダーの中には、小ずるく立ち回って仕事を人に押し付け、何にもしなくても「リーダー1回やりました」みたいな顔をしている人もいます。

他人の経験の上に立って物事を回したなけなのに、「自分はうまくやれた」と勘違いして調子に乗る人もいます。

口では「協力するね。みんなでやろうね。」と言いながら、いざ協力を求めると、「仕事があるから!」と逆ギレする人もいます。

 

いろんな大人を見てみて、やはり上に立つものの苦労を知らない人は、自分がリーダーになった時、自分の損得が優先で、

「みんながやり易いように」

という発想が無いように感じられます。

大人になってからそれが露呈しても、挽回のチャンスはなかなかありません。

「信用できない人」

というレッテルを貼られ、離れて行かれて終わりです。

 

 

そういう意味では、失敗の許される学生のうちに、チャンスがあるならリーダーはやってみた方がいい、そう思っています。

 

 今は苦しいだろうけど、どうか、今の息子の苦悩が、「未来への貯金」となって、彼の将来を豊かにしますように、と願わずにはいられません。

 

ママンになって初めて気づいたことですが、リーダーも大変ですが、リーダーを支える家族というのもまた、いろんな意味でしんどいものですね(苦笑)。

 

 

 

 

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