「王様のブランチ ブックアワード2016大賞授賞‼」と帯に書いてあり、本屋さんで平積みになっていた分厚い本、『みかづき』。
前評判がとても良かったし、内容が「塾」や「教育」についてだと知り、読んでみました。
戦後の日本、「塾」業界が急速に成長した時代を塾講師として生きた大島吾郎、千明夫妻を主軸として描いた作品でした。
作品は、大島夫妻の「塾」の立ち上げから、娘3人の生き方、孫が学習支援団体を設立するところまでと非常に長い時代にわたって描かれていて厚みがあるので、思うところもありすぎて、何から書けばいいやら……。
この作品の中では、「公教育」を教育界の「太陽」とするなら、「塾業界」は教育界の「月」と例えられています。
また、「公教育」が教育界の「表街道」であるなら、「塾業界」は「裏街道」であると。
また、「公教育」は文部省の後ろ楯がある代わりに、文部省の方針やカリキュラムから逃れられない。しかし、「塾業界」は文部省から目の敵にされ何の後ろ楯もないが、そのぶん自由にやりたい教育を実践することができる。
「公教育」は、詰め込み型の偏差値至上主義の反省からゆとり教育を目指したが、学力低下に陥り再びカリキュラムを見直すことになる。
一方、「塾業界」は「補習塾」から「進学塾」への方針転換、同業者同士の足の引っ張り合いのほかに、個別指導やオンライン化などの多様な学習形態の出現により、生き残るために時代に合わせて順応することが求められた。
どれだけ簡潔にまとめようとしても、教育界のうねりは、その厚みから、一言で言い表すのは簡単ではありません。
私自身は、学生時代には塾講師のアルバイトをしていたし、公教育の現場も多少見てきました。でも、自分が塾に生徒として通った経験はありません。田舎だったので、まず通える範囲に学習塾というものが無かったのです。でも、この作品を読んでみて、昭和36年という、私がまだ産まれてもいない頃から、都会では塾が産まれ、競争が激化しながらも発展していったのだなあと思いました。
自分が教育界の「表街道」も「裏街道」もないようなところで育ったので、この種の話にはいささかポカンとしてしまいますが(表か裏かで戦々恐々とするほど教育に関心のない土地で育ったことが良かったか悪かったかはわかりませんが)、我が子を塾に通わせるか否かという悩みはずっと私の中でくすぶっていますし、避けては通れない問題です。
子どもを塾に通わせることに踏み切れないのには、
- まず部活をやりすぎる学校なので、夜も練習があって、塾に通う時間が取れないこと。
- 評判のいい塾は遠くて、送迎もしくは公共交通機関を利用しての移動となり、時間的に負担が大きすぎること。
- 経済的に、塾の費用プラス交通費という負担が大きすぎること。
などの理由があります。すべては田舎ならではの悩みかもしれません。
そもそも塾に通ったからといって、果たしてどれほどの成果が見込めるのかという疑問もあります。ただ、情報の面で、親の情報収集ではまかないきれない豊富な受験情報を塾は持っているのではないかとも思いますし、「うちには塾はまったく必要ありません」とも言い切れないのです。
でも、そもそも、「公教育では足りない」という現象が起きるのがおかしいのではないでしょうか。
大島夫妻の長女・蕗子(吾郎とは血がつながっていない)が、「公教育」を毛嫌いする母・千明に向かって、「私学へ通える子ばかりではない」と言って自身が公立校の教員であり続けることにこだわったように、どんな経済状態の家庭にも開かれているはずの公教育が、それだけで受験には対応しきれていないということ。だから私学や塾が出てくるのでしょうが、お金を積んで私学や塾へ行かなければ望む学校へ入れないという構図は、公立校で塾へ通っていない層の優秀な人材をみすみす逃すことにもつながっているのでは?と思います。
蕗子の長男で、大島夫妻の孫にあたる一郎は、経済の困窮や親の忙しさから学習困難になっている児童や生徒に無償で補習を行う団体を立ち上げました。すると、スポンサーになってくれる企業が現れ、軌道に乗る予感をさせて物語は終わります。この一郎が立ち上げた、無償の学習支援団体のような在り方こそが、今求められている教育なのではないかと思いました。
もっと公立校を勉強させる体制にするとか、受験も、学校で習わない、塾で学ばないと解けないような問題で受験生をふるいにかけるのではなく、誰でも挑戦できるような、公立も私立も塾もない教育体制って無いのでしょうか?平等に開かれている教育というのは、夢物語なのでしょうか?
この小説『みかづき』の中では、反目しあっていた「塾」と「公教育」は、最終的には手を取り合う方向へ向かって行きます。
塾の大島夫妻や塾講師たち、公立校教員の蕗子など、この物語に登場する人物たちは、それぞれアプローチは違っても、子どもたちに真の学力をつけたいと願う、教育に対して熱量の高い大人たちがいた、と、勇気を与えてくれます。
この、私たちが生きる現実の世界でも、お金の有り無しで教育を諦める事例を無くしたい(真面目に働いても収入の増えないこの時代なのですから)。そういう情熱を持った大人たちが手を取り合えば、可能なのではないか。
著者の願いも、そこなのではないかなあと思います。
深く深く考えさせられた小説でした。