ミケーラ・デプリンスというバレリーナをご存知でしょうか?
現在、世界的バレリーナとして活躍する彼女は、実は、戦争孤児でした。
この本は、そんなミケーラさんの自伝です。
シエラレオネの戦争孤児
シエラレオネという国は、エボラ出血熱が蔓延したことで記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。
ミケーラさんは、そのシエラレオネで生まれました。
生まれたときから、白斑病という皮膚病で、まだらに皮膚の色が抜けていました。そのせいで、「悪魔の子」と呼ばれ、虐げられます。
両親は彼女を守ってくれましたが、戦争で亡くなり、彼女は孤児院に預けられました。
孤児院での生活も酷いもので、彼女は27番と番号で呼ばれて、スタッフからも何かにつけ虐げられていたそうです。
バレリーナとの出会い
そんなとき、彼女は偶然、バレリーナの写真を目にします。生まれてはじめて見た、つま先立ちの、ピンクのチュチュに包まれた幸せそうな女性。
そのうつくしい女性に憧れ、自分もいつかこの人のようになりたい!と、心の支えにして、厳しい日々を耐えていました。
彼女が生まれて初めて憧れた美しいもの。
それは、1枚のバレリーナの写真でした。
養父母との出会い
そして、ある日、縁あって、あるアメリカの家庭に引き取られます。
この養父母との出会いが、彼女にとって転機となりました。
養父母は、彼女に、夢であるバレエを習わせてくれたのです。
そして彼女も、一生懸命努力して、いつか見た雑誌のバレリーナのように、美しく幸せそうに輝く、世界のバレリーナになりました。
チュチュを染める!?
いくらバレエが好きでも、白斑病を持ちながら、レオタードやチュチュを日常的に着て肌を露出することは、きっと嫌な思いもたくさんしたのだろうと想像できます。
毎日が偏見との闘いだったことでしょう。
でも、ミケーラさんの養父母となったエレーンさんは、彼女の肌色に合うように、ご自分で、白いチュチュをチョコレート色に染めていました!
「そんな発想があるんだ!」
と、とても驚きました。
なんて愛情深いのでしょうか。
この発想、この行動力は、養母という立場を超えた、真の母の愛だと感じました。
私も娘がバレエを習っているのですが、バレエと言えば、チュチュは「白」です。もちろん、踊る役によって、いろんな色のチュチュがありますが、「白のバレエ」という言葉もあるくらい、バレエ界での「白」は不動の地位にあります。
しかし、エレーンさんが考えていたことは、ミケーラさんをバレエの「白」に寄せるのではなく、そのままのミケーラさんを、いかに美しく魅せるかということです。彼女に自信をもって舞台に立ってもらうこと。それだけを考えていたのだと思います。
躍進は家族の支えあってこそ
ミケーラさんは、エレーンさんをはじめとする、新しい家族の愛情と保護を受けながら、自分自身も努力を重ねて、ついにバレリーナという夢を実現しました。その実現の過程は、『ファーストボジション』という映画にもおさめられています。そして、将来は、シエラレオネのためにバレエを通して何かしたいと、新たな夢を語っていました。
夢に向かって努力する力や、人のために何かしたいというエネルギーは、自分の衣食住が十分でないと、なかなか出てきません。
そういう意味で、エレーンさんの存在は、ミケーラさんにとって、かけがえのないものだったと思います。
母の愛の偉大さ
エレーンさんの母親としての愛の深さには、本当に心打たれました。
我が子を育て上げるだけでも大変なのに、エレーンさんは、外国の戦争孤児を劣悪な環境から救い、食べさせ、着せて、教育を受けさせ、習い事もさせました。
そして、夢を実現する力を引き出し、母国のために何かしたいという新たな夢を抱かせました。
こんなすごいことを成し遂げたエレーンさんですが、おそらく、彼女自身は、何か偉業を成し遂げようと思ってしたことではなく、ただ母親としてミケーラさんとの日々を生きたら、こんな結果がついてきた、ということなんだと思います。
その打算のなさこそが、母親の「強さ」「大きさ」「深さ」なのでしょうね。
我が子の育児でさえいっぱいいっぱいの私からすると、
「こんなすごい人がいるのか!」
と驚きます。そして、母親としての可能性というか、
「母親って、こんなふうに生きることもできるのか!」
と、何やら勇気がわいてくるのです。
エレーンさんの深く広い母性には遠く及ばないものの、
「私も一応、偉大なエレーンさんと同じ、ママンのはしくれよ!」
と、あたかも自分の手柄かのように、ママンであることの誇りが生まれるのでした(^_^;)。
バレエに関わる親子の皆さんはもちろん、そうでない皆さんにも、多くの方に読んでみてもらいたい本です。
「40代主婦」の生き方いろいろ
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