ママンの書斎から

アラフォーママンの考えごとや読書記録

震災、忘れたい気持ちは悪いことだろうか

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あの震災から6年経ちました。

 

私は被災者です。

あの日、子どもたちが学校から帰って来てまもなく、大きな地鳴りとともに、大きく長い揺れがきて、息子は

「ぼくが本棚を押さえるから!」

と小さな体で本棚を押さえ、私はもうひとつの棚を押さえました。

いっこうにおさまる気配のない揺れ。むしろだんだん大きくなっていきます。ついに娘が怖がって泣き出し、私はこれ以上家の中に居たら危険なのではないかと不安になり、子どもたちと外へ飛び出しました。

外から見た我が家は、ねじれながら大きく揺れていて、倒壊するんじゃないかと、絶望的な気持ちで見ていました(結果的には一部損壊で済みました)。

やがて、他の家からも続々と人が出て来て、みんなで地鳴りと余震に怯えました。子どもたちが泣いていて、大人たちも、子どもたちの不安を取り除いてやれるほどの余裕は無く……。

携帯のワンセグで津波の映像を見て、何が起きているのかと、本当に怖かった……。

 

揺れがおさまってからも大きな余震がひっきりなしにきて、家の中はめちゃくちゃで入れなくなり、車の中で夫の帰りを待ちました。

 

外は暗くなってきて雪も降り、車のテレビで津波の映像を見るたび、沿岸に住む友人が無事かと、胸がしめつけられました。

 

夫はなんとかその日のうちに帰ってきましたが、そのあとは寒さと不安と、余震で眠れなかった記憶しかありません。

 

それから、うちに電気が戻ったのは3日後です。ガソリンスタンドには半日並び、スーパーには2時間並んで缶詰を買いました。カセットコンロのガスの残量を気にしながら、お湯を沸かしたりしていました。

 

その後、家を直したりしながら、少しずつ生活をたてなおしましたが、今も、我が家の前の道路に入った大きな亀裂は、そのままになっています。でも、津波の被害を受けた人たちに比べたら、こんなこと、辛いなどとは言ってはいけないという気持ちでいました。

 

まだまだ、ここには書ききれないほど、いろいろなことがありました。

 

 

あれから6年経ちましたが、いまだ沿岸の復興は途上です。忘れてはいけない、確かにそのとおりです。

 

でも、私のなかには、もう忘れたい気持ちがあります。こんなことを言ったら、さまざまなところからお叱りを受けるかもしれませんが、あの記憶は、思い出すのが辛い。もう忘れたい。正直なところ、そんな気持ちもあるのです。

 

 

3.11は、私の友人の誕生日でもあります。

 

彼女は、自分の誕生日が日本全体の辛い日となってしまい、祝ってはいけないような気持ちでいるのではないか。

 

彼女は何も言わないけれど、実はあの震災の日から、ずっと、誰にも言えない複雑な気持ちを抱えているのではないか。

 

そんな想いに駆られます。

 

 

私は、3.11は忘れてはならない記憶ではあるけれども、前へ進まなければならないとも強く感じています。

心に留めるのは教訓だけでいい。

思い出すと息ができなくなるような悲惨な光景はもう忘れたい。

そして、友人の誕生日であることを、心からお祝いしたい。

 

でも、忘れたいと思ってしまう自分を責める気持ちもあって……。

 

3.11は、まだまだ、私のなかでは複雑な思いに葛藤する日です。本当に吹っ切れるのは、まだ先のようです……。