ママンの書斎から

アラフォーママンの考えごとや読書記録

ママンとグランマの歩み

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私が初めての子どもを産んだとき、私の母が私を産んで育てた頃の子育てとは、いろんなことが変わってるんだなと感じました。

 

例えば、私の母の子育て時代の「日光浴」は、私が息子を育てる頃は「外気浴」に変わっていました。紫外線の悪影響がわかってきて、母子手帳から「日光浴」という言葉が消えたのだそうです。

 

それから、赤ちゃんの食事を大人がモグモグしてから与えるとか、大人が使ったスプーンやお箸で赤ちゃんにそのまま与えるなどということは、今は虫歯菌が移ってしまうということで完全NGですが、母の時代には普通に行われていたそうです。

 

他にも、赤ちゃんを車に乗せるときはチャイルドシートに乗せなければならないということが、母の時代には今ほど厳しくなかったので、母は息子を抱っこして乗ろうとしました。「捕まるよ」と、止めました。

 

まだあります。

例えば子どもが痙攣をおこしたら、昔は何かを噛ませたそうですが、今は、吐いたもので窒息しないよう横向きに寝かせ、何分でおさまったかを医師に正確に伝えられるように時間を計るように言われます。「何かを噛ませる必要はないそうだよ」と言ったら、「信用ならない」という顔をされました。

 

他にも、挙げればきりがないほど、昔と今の子育てで違うことがありました。

 

私は母親学級で習ったとおりにやろうとするし、母は自分の経験を正しいと思いたがる。連日の寝不足も手伝ってお互いにイライラし、私の中には母を責める気持ちがありました。母も私に怒っていたと思います。

 

今考えれば、昔ながらのやり方を踏襲したほうがいいこともあるのですが、当時は初めての子育てで必死だったので、どうして母は今の子育てを知ろうとしてくれないのか、「昔の常識、今の非常識」と言うじゃないの!と、本当にイライラしました。そして、仲が悪かったと思います(苦笑)。

 

 

そんなあるとき、実家でアルバムを見る機会がありました。そして、今よりとても若い母が、小さな私を満面の笑みで抱っこしている写真を見つけました。

 

私  「なーんか、すごく若いね。」

母  「必死だった頃だなあ。」

私  「何に必死だったの。」

母  「あなたを大きくするのに。」

私   「……」

 

 

そうかあ。

「必死」かあ。

お母さんも、若いママンの時があったんだよねえ。

必死だったんだよねえ。

必死で私を、大きくしてくれたんだね……。

 

 

若い時を生きていた母。

必死で子育てしていた母。

 

母にとっても私は初めての子どもで、悩みながら、その時代の子育ての常識にのっとって一生懸命育ててくれたんだということが、その時初めてリアルに想像できたのです。

 

そして、母を責めてもしょうがないなと思いました。時代によって常識が変わるのは子育てに限ったことではないし、誰だって自分のやってきた子育てを、正しかったと思いたい。私も、将来、娘の子育てを手伝うことになったとき、娘から今私がしている子育てのやり方を間違ってたと言われたら悲しいと思うので。

 

私がママン1年生なら、母もまた、グランマ1年生だったあの頃。それぞれに一生懸命やっていたけど、そんなに簡単に、理想のママンにも理想のグランマにも、なれなくて当たり前だったね、と思いました。

 

 

それで、私は、孫(私の子ども)を間に挟んで、ママン(私)とグランマ(私の母)の新たな関係が自然に構築されていくのを待とうというスタンスに変えました。時々ケンカしてもいいから、孫(私の子ども)を育てるなかで、それぞれ思うところを擦り合わせて行ければいい、と思ったのです。

 

 

「ママンとグランマの歩み」(笑)も、14年目に入りました。それぞれに、少しは成長しているでしょうか(笑)。

 

孫(あるいは子)を挟んで大騒ぎしたり、すったもんだしたりしながら、我が家の子育てセオリーが、なんとなく出来上がってきたかな、と感じます。

 

 

ママンもグランマも、完成されるということはなく、いつでも発展途上です。お互いに歩み寄って、いい関係を育みたいものです。

 

 

 あ、「ママン」はフランス語なのに、「グランマ」は英語でしたか(笑)?フランス語で「おばあちゃん」は、「グランメール」だそうですが、「メメ(幼児語)」もあるし、「ボンヌママン(素敵なお母さん)」という言葉にも、親しみをこめた「おばあちゃん」という意味もあるとか……まあ、いちばんゴロがいいので、やっぱり「グランマ」にしておきます(笑)。