子どもたちの冬休みが近づいてきました。宿題の内容もそろそろ発表され、計画を立てさせられる時期です。
そして、やっぱり今回もあります、読書系の宿題。
娘は読書が苦にならないタイプなので心配要りませんが、息子は……ストーリーを追って長文を読むことが、あまり好きではなく……
長期休みのたびに、何を読んだらいいか、苦慮します。
そんな息子が、今年の夏に読んだのが、佐藤いつ子さんの、『駅伝ランナー』と『駅伝ランナー2』。
↑息子が読んだのはここまでですが、『駅伝ランナー3』も出ているようです。↓
息子は駅伝をやっているわけではないのですが、主人公が、年のころが同じくらいの少年であることや、スポーツをする上で抱く葛藤などに、自分と通じるものを感じたのでしょう。
主人公の走哉(そうや)は、走ることがとても好きで、毎日走っているけれど、試合で勝ったり記録を残したりというところまではいかない。それでも、部活の仲間達や、どうしても追い付けないライバルへの葛藤など、さまざまなことに直面しながら人として、またランナーとして成長していく物語です。
息子も、あるスポーツをやっているのですが、なかなか思うような結果を出せないでいます。同級生が勝っていく中、どうして自分は頑張っているのに勝てないのか、センスや才能の問題なのか、それとも努力のしかたが間違っているのか……そして、もうこのスポーツはやめたほうがいいのか……
元陸上競技選手で、ハードラーであった為末大さんが、ご著書『走りながら考える』の中で、
「勝ちやすい「場」を探すのも手だ」
とおっしゃっています。
ご自身も、もともとハードルの選手ではなかったけれど、自分が勝てそうなフィールドに行って勝負しようと思い、ハードラーになられたそうです。
確かに、努力しても努力しても負け続けるのは、大人でも心が折れます。まして息子は思春期真っ盛りの中学生です。
「自分とはなんぞや?」
という問いを抱いて荒ぶるこの時期に、負け続けるという経験は、どんなにか辛いことだろうと思うと、胸がしめつけられる思いです。
「辛かったら、やめたっていいんだよ。もっとあなたに向いている世界に行けばいい。」
と、心の中では思っています。でも、頑張って練習に行く彼をみていると、言えないんです、そんなこと。
そんなこんなで、私も、彼の試合を応援しに行くのが辛くなりました。でも、引退まで、彼がどういうふうに気持ちに折り合いをつけていくか、親としてきちんと見届けなくてはならないような気もしています。
息子が『駅伝ランナー』を読んでみて考えたこと。それは、
「努力は才能を凌駕するか」
ということです。今も、毎日毎日、考えに考えているところです。ずば抜けた運動神経は持ち合わせなかった自分が、努力してこの競技で上に行くことは可能なのだろうか。
ともするとモチベーションが下がりそうになる自分を励ます言葉が欲しいのだと思います。
「努力は才能を凌駕してほしい」
と切実に願っていて、自分がそれを体現したいと、頑張っているところなのです。
「親」という字は、「木の上に立って見る」という意味だと聞いたことがあります。でもこれには諸説あるようで、「近くで見る」とか、「近い」という意味だとも言われているようですね。
いずれにしても、親は子を見守ることしかできません。
「見守る」
ということは、ただ見ているということではなくて、
「子どもと同じ気持ちを味わうこと」
ですね。そしてそれは、時に、とてもしんどい作業です。
でも、見守らなくては。
息子は煙たがると思いますが、子どもから気持ちをそらさないことは、特に中学生にとっては大事だと私は考えます。驚くほど大人びたことを言ったかと思うと、驚くほど子どもだったりする中学生。きちんと見ていてやらなくては、道を誤ります。
息子の挑戦が、実を結んでも結ばなくても、それはどちらでもいいのです。
彼が
「挑戦した」
ということを、私がわかっていればいい、と思っています。