ママンの書斎から

アラフォーママンの考えごとや読書記録

『「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか』(東京大学教養学部×博報堂ブランドデザイン)

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「個性重視」が叫ばれるようになってから久しいですが、「個性」とは何でしょう?

自分だけの才能、自分だけの長所、自分だけの得意なこと……。もちろん、悪い特徴も含めて「個性」と呼ぶのでしょうが、重視され尊重されるべきは、良い特徴のほうですよね。

 

確かに、子どもが何か良い特徴に恵まれ、それを活かして生きてくれたら、親としては嬉しい限りです。

では、「個性」とは、どのように伸ばせばいいのでしょうか。

 

うちの子どもたちは、男の子と女の子です。

当然、性別が違うので、嗜好がまったく異なります。

家族でショッピングモールなどに出掛けると、それぞれ行きたいお店が違うので、小さい頃は二人同時に逆方向へ走らないよう、つねに警戒していたものです(笑)。

 

でも、性別の違いをとっぱらっても、同じ親から生まれて同じ環境で育っているのに、こうも性格が違うんだなあと驚かされることがあります。

 

例えば、お兄ちゃんは、小さい頃より今の方が活発で、買い物などでは、欲しいものがあれば、パッと買ってしまうタイプです(汗)。

 

対して妹は、小さい頃は活発というか豪傑(苦笑)、でも今はとてもおとなしく、家にいるとまず喋りません。居るのか居ないのかわからないほど。買い物では悩んで悩んで、最終的に買わないタイプです(笑)。

 

そんな子どもたちを見ていると、

「個性とは、声高にアピールしたりしなくても、とりたてて追求したりしなくても、おのずと表れてしまうもの」

なんだなと思います。

 

昔、書道をやっていたことがあるのですが、まずとにかく臨書(書道の大家の字を手本として正確に真似て書くこと)をさせられました。いろんな書道の大家の書を、とにかく真似て真似て真似て……。

 

そんなに人の字を真似てばかりいて、自分のオリジナルな字なんか書けるのかなと、若かった私は思ったりしました(青二才でした、すみません!)。でも、どんなに自分を消してひたすらお手本を真似ても、どうしても滲み出てきてしまうものがあるんですよね。すなわちそれを個性と言うそうです。

そして、それは基本を重ねて重ねて重ねた先にしか、出てこないものだそうです。

このことを知ったとき、まさに、目からうろこが落ちるという感じがしたのを覚えています。基礎基本もままならないうちからオリジナルな字を書こうなんて、なんて浅はかで愚かな考えだったんだろうと。

 

『「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか』(東京大学教養学部×博報堂ブランドデザイン)

という、長いタイトルの本(笑)を読んだら、このことが書いてありました。

 

「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか (アスキー新書)

「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか (アスキー新書)

 

 

 

東京大学大学院総合文化研究科 相関基礎科学系 准教授、松田恭幸先生の「第5講 物理学   個性とは、フロンティアに必要なもの」という章に、次のような一節があります。

「研究者として一人前になるには、まず基本的な知識や方法論などを時間をかけて勉強して、きちんと把握しておく必要があります。そこが十分でないまま、発想の自由さを問う、すなわち個性を発揮しようとするのは無謀というものです。」

 

なるほど!わかりやすいですね!

長いタイトルを引用した甲斐がありました(笑)!

基礎基本を学ばずにオリジナルを追求するということは、

「無謀」

なんですね。

 

子育てや教育の現場では、とかく個性個性と声高に叫びがちですが、個性は、外側から無理に引き出そうとか伸ばそうとかしなくても、子どもひとりひとりから、自然に表れてくるものだと思います。

 

「自分だけの誇れる何か、他の人より抜きん出て優れた何か」

を追い求めてジタバタする必要はないということです。みんなと同じ事をやっているようでも、必ず自分だけの何かが表れてくるはずです。

 

そしてその時、大事なのは、普段から人に信頼されて、その個性を求められる人となりでいることです。

むしろ、人間性を磨くことは、個性を追求することそのものよりも大事だとさえ思います。

 どんなに優れたオリジナルの才能があろうと、信頼されない人柄であっては、結局その才能を発揮する場が与えられないのですから。

個性を発揮して生きるには、人間的な成長は不可欠です。

 

子どもたちの個性を尊重しよう、伸ばそうと思うなら、まずは学力の基礎基本を、そして、人の道の基礎基本を、じっくりと確実に身につけさせることが先決なのだと思います。